2022年2月3日

突然の悲報と家族

英語で「coming for a long time」という表現があります。直訳すれば「長い時間来ていた」という意味です。

「This has been coming for a long time」と言うような使い方をしますが、「いつかはこれが起きると分かっていた」というような意味になります。「This was a long time coming」というような言い方もされます。

前々から発生が見込まれていた出来事がついに起きたという文脈で使われる表現ですけど、発生が見込まれていた出来事なら人々はそれほど驚かないのかもしれませんが、たとえそうだとしても出来事次第では大きな衝撃をもたらします。

例えば、家族の誰かが自殺したという場合です。

先日、夫と私の知人Dさんが亡くなりました。89歳という高齢でした。亡くなられる2週間ほど前に病院に運ばれたという話を聞きました。脳梗塞の疑いがあって救急車を呼んだということでしたが、幸い脳梗塞ではなかったのですぐに退院しました。

そして先週の水曜日の朝、Dさんは普通に起きて来て、奥さんと普通に会話をして、その朝はいつもよりも優しかったと聞きましたが、一人でどこかに車で出かけて行きました。奥さんには何も言わずに。

キーホルダーに付けてある鍵は、置いてあったそうです。後から分かったことですが、彼はキーホルダーから車の鍵だけを外して、黙って出て行ったのです。

奥さんは「あれ、どこかに行ったな」と思っただけで、全く不審に思わなかったそうです。

彼は人気のない場所に車を停めて、排気ガスを車内に引き込んで自殺しました。家族への手紙が残されていて、お葬式についての希望が書いてあったそうです。

Dさんは、何十年も前から不安症を患っていました。症状を悪化させる要因は様々ですが、昨年可愛がっていたネコが死んでからは、気分が落ち込むことが増えていたそうです。

古くなってきた家はいろいろと修理が必要になり、そういうことにも強いストレスを感じていたようです。健康のことが心配だったのかもしれません。

もう人生を終わりにしようと思ったのは何がきっかけだったのか、それは誰にも分かりません。

奥さんにも子供さん達にも、Dさんの自殺は「coming for a long time」だったと聞きましたが、たとえいつかこういうことが起きるかもしれないと分かっていたとしても、実際にこういうことになれば家族は動揺したはずです。

お葬式は近親者だけで行うようにと手紙に書いてあったそうですが、お葬式でやって欲しいリクエストも書いてあったんだそうです。この方はスコットランド移民の子孫であることを誇りに思っておられましたから、お葬式ではバグパイプの演奏もリクエストしていたんだそうで、演奏する曲目も書いてあったとか。

ショックで不安定になっている高齢の奥さんに代わって、子供さん達がお葬式やその後の親族の集まりの食事のことなど手配に忙しかったそうですが、葬儀場はどこも新型コロナのせいでスタッフが足りなくて順番待ちが長くなっているんだそうで、お葬式は来週の水曜日になったそうです。

子供さん達にもいろいろ事情があるようで、他の州に住んでいる方はお葬式に出席しないそうですし、日頃から仲の良くなかった兄弟姉妹間でいさかいが勃発したりと、お葬式を前にすでにいろいろ問題が起きていて、これから財産相続をめぐってどういうことになるのかと、部外者の私達は聞いているだけでしんどくなります。

Dさんが正式な遺言を残しておられたらいいのですがね。


遺言ですけど、ある程度の年齢になったら書くべきものなのでしょうが、私は時々うちの子供達と自分が死んた時のことを話します。

私は、自分が死んだら、まず提供できる臓器があれば提供してもらいます。そして、葬式は不要です。お墓も不要です。将来子供達がどこに住むかも分からないのに、お墓なんて作っても意味がないと思っています。

火葬してもらい、遺灰を2つのきれいな壺か何かに入れて、息子と娘にそれぞれ持っていて欲しいと言ってあります。

将来世界を旅行する機会があれば、いろいろな場所に灰を撒いてくれたらうれしいとも言ってあります。つまり遺灰をずっと手元に置いておく必要はないということです。

子供達に残す遺産など私には無いですし、持ち物も多くはないので片付けに苦労することもないでしょう。唯一頼んでいるのはレシピサイトのことです。何らかの形で残して欲しいと思っています。

ということで、私が死んだら後片付けは簡単ですよ。

でも、うちの夫が死んだら大変です。

夫は葬式をして欲しいと言っています。家族や親戚や友人が集まって自分のことを思い出して語り合ったりして欲しいらしいです。お葬式では、亡くなった人と親しかった人達がユーロジー(Eulogy)という追悼のスピーチをしますが、ああいうのをやって欲しいのです。

そして、遺灰は実家の牧場の丘の上に撒いて、そこに大きくなる木を植えて欲しいそうです。

樹木葬みたいなものです。それもなかなかいいですよね。

お葬式と木を植えること、この2つはそれほど大変なことはないんですけど、夫が死んで大変なのは大量の持ち物の始末ですよ。あの大きなガレージいっぱいの道具やガラクタをどうしろと言うんでしょうかね。

歳をとる前に目が見えなくなることは分かっているんですから、それこそ「coming for a long time」なんですからね、あのゴミ屋敷状態のガレージにあるものを本当に何とかしてもらわないといけません。


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