2025年10月31日

母のあんこ作りと親心

10月だというのにいつまでもだらだらと夏が続いていたのが、ある日突然寒くなり、秋を通り越して冬が来たみたいな岡山の田舎の実家で、毎日特に何かするわけでも無く過ごしています。

昨日の朝も冷え込みましたが、日中は20度以上まで気温が上がりました。気持ちがいいので、散歩を兼ねてセブンイレブンまで歩きました。田舎にもセブンイレブンはあるんです。実家からはゆっくり歩いても15分もかかりません。のんびり山沿いの道を歩いて行きました。

行った目的は、「きんつば」を買うため。数日前からあんこ系のお菓子が食べたくてたまらなかったのですよ。先週その店で買った「きんつば」が美味しかったのでもう一度買おうと思って行ったんですが、売り切れていたので大福餅と草餅を買って帰りました。

それを見たうちの母が、私に柏餅を作ってあげると言って、今朝早くから小豆を煮ていました。800グラム入り袋を全部煮たそうでかなりの量になっていましたが、それをこしあんにしていました。

私もメルボルンであんこは良く作りますが、こしあんは面倒なので作るのはいつも粒あんです。しかし、母は実に簡単にこしあんを作ったんです。

大きな鍋に手ぬぐいで作った袋を敷き、その上にざるを置き、軟らかく煮た小豆をざるに移してすり棒でつぶしていました。皮はざるに残り、あんこは手ぬぐいで作った袋に残り、鍋には水だけがたまるという仕組みなんです。

母がこしあんを作るのを本気で見て習ったことがなかったのですが、なるほどこうやって作っているのかと今更ですけど勉強になりました。私がフードプロセッサーで皮も全部ガッガーとつぶして作るこしあんよりもやはり舌触りがいいです。

メルボルンに帰ったら、母のやり方でこしあんを作ってみようと思いました。


母は90歳を超えていますが、お料理の手際がすごいです。あっという間にいろいろ作ります。65歳の娘に食べさせてやりたいと、毎日美味しいものをたくさん作ってくれます。

母と娘の関係というのは、歳をとっても変わらない特別なものがありますね。うちの娘が家に帰って来る時に、私が娘の好きなものを作って食べさせてやろうと思うのと同じ気持ちなのでしょう。

うちの娘は料理が好きでとても上手ですが、それでも一緒に料理をしていると私が教えてやれることはいろいろあります。

メルボルンに帰る日が近づいてきました。帰る前に私の大好物の蒸し器で作る五目おこわの作り方を習おうと思っています。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月30日

みどりの窓口がない!

岡山市に本店を置く「中国銀行」は、岡山県でトップのシェアを誇る銀行なんですが、私の実家ある中西部の町は過疎化が進み、この町にあった支店が無くなったそうです。

振り込みとか支払いとか、大抵のことはオンラインで出来る時代ですが、うちの母にはそういうことが出来ません。用事がある時には一番近い支店がある高梁市まで行かなくてはいけません。

昨日は銀行に用事があったので高梁市まで私も一緒に行きましたので、ついでに来週帰国する時の成田空港までの列車の切符を買っておこうと思い、高梁市にある備中高梁駅に行きました。

実家から成田空港までは、5時間以上かかる大旅行なんですよ。備中高梁から岡山まで行き、そこから新幹線で品川まで行き、品川から成田エクスプレスで成田空港まで行くのです。3つの特急券が必要で、すべて座席指定が必要です。時間がかかる新幹線はグリーン車を利用して窓側の席を頼むつもりでした。

何かあった時のことを考えて早めに空港に着くようにしたいと思いました。備中高梁駅の「みどりの窓口」で相談しながら時間を決めようと思っていたら、

「みどりの窓口」がなかったんです!

改札口の近くで掃除をしていた人に「すみません、この駅にはみどりの窓口はないんですか?」と聞いたら、「みどりの窓口って何ですか?」と言われました。20年近くも日本に来ていなかったので知らなかったのですが、多くのJRの駅で「みどりの窓口」は廃止されたんだそうですね。

岡山県には、人が対応してくれる切符売り場のある駅は4つしかないんだそうです。

備中高梁駅には、私が買いたい切符を売る機械は一つしかありませんでした。私の前の人がその機械で切符を買おうとしていましたが、機械に取り付けられていた受話器でオペレーターと話しながらやっていましたが、結局その人は切符を買うことをあきらめたようでした。

私は「みどりの窓口」で相談しながら時間を決めるつもりでしたが、それは諦めてiPhoneで列車の時間を調べました。その時間で切符の購入を試みたんですけど、

わけが分からん!

そうこうしているうちに私の後ろに人が並ぶし、発券機が1台しかないんですから、もたもた時間をかけてやっていられないんですよ。操作を取り消してしばらく待っていました。そして他の人がいなくなってから再び挑戦したんですが、よく分からないんです。

そこでオペレーターの助けを借りようと思ったら、順番待ちが3人と表示されました。待っているうちに再び私の後ろに人が並び始めましたから、もう機械で買うのは諦めました。

人が対応してくれる切符売り場のある4つの駅の1つは倉敷駅です。私は倉敷まで行くことにしました。そうしたら、次の普通列車まで待ち時間が1時間!

そんな…

仕方がないから特急「やくも」に乗ることにして特急券を買おうとしたけど、これも買えず。結局、特急列車の中で割高料金の特急券を買いましたから、倉敷まで行くだけで1880円もかかったんです。(泣)

切符は、倉敷駅の「みどりの窓口」の行列に並んで、スタッフの方と相談しながらちゃんと買えました。私以外の方は、来週の新幹線の切符とか、私が買ったような複数の切符を家族分とか、機械では買いにくい切符を買っていらっしゃいましたよ。

切符はインターネットで簡単に買えるとJRは宣伝していますが、インターネットやスマホの操作に不慣れな高齢者には、1台しかない発券機で複数の切符を座席指定しながら買うなんて無理です。

不便になったものですね。駅が無人になって、切符を買うのに苦労している方が大勢いらっしゃることでしょう。

今日の新聞にJR西日本の全線が赤字だという記事を読みましたが、利用しにくいJRを避けて費用が高くついてもタクシーを利用する人が多いのも納得です。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月29日

悪夢の国際郵便小包とパニック

家の片づけをしていて見つかった古いアルバム、そしてアルバムに貼れてもいない大量の写真。

日本に来てから購入した22センチの靴(日本でしか手に入らない!)やユニクロの長袖の服(オーストラリアのユニクロは同じ商品でも日本で売られている商品よりも袖が4~5センチ長い!)や母から譲ってもらった服やエプロン。

アマゾンで買った調理器具や娘が備中国分寺で買った絵や息子の荷物。

日本滞在中に荷物がかなり増えましたので、箱に詰めて送料の安い船便で送ることにしていたんですけど、

日本郵便の国際小包が面倒くさすぎる!

紙の送り状というのがなくなっているんですね。オンラインで全部やらなくちゃあいけなくなっているんですけど、「国際郵便マイページサービス」というやつにアカウントを作って送り状と必要な書類を作らなくちゃあいけません。

依頼主とか送り先の記入は簡単ですけど、内容品リストの作成が完全に悪夢のレベルなんですよ!

私が箱に詰めた物は全て個人的なもので、多くには値段なんて無いんですけど、いちいち品名や値段を登録しなくちゃあいけないもんですから、あまりに面倒で郵便で送るのはやめたんです。

実家のある町では郵便以外に海外に荷物を送る選択肢がありません。そこで、全部の荷物の重さを量ってみたら何とか機内に持ち込める30キロ以内に収まりそうだったので、箱はヤマト運輸で成田空港あてに送ることにしました。

その箱詰め作業のついでに、昨日はスーツケースを整理したんです。

そうしたら、

パスポートが見つからないの!

パスポートは滞在中には持ち歩く必要がないので、スーツケースに入れたままにしていたんです。ところが、いくら探してもない!

全てのポケットを探したけどない!

ハンドバッグや小さい旅行かばんの中もあらゆるポケットも探したけど、どこを探してもパスポートは見つからなかったんです!

成田空港に送る箱も開封して中身を全部出して調べたけどない!

そうこうしているうちにヤマト運輸の方が集荷に来てくださいました。パスポートが無いと帰れないけど、成田空港に送った箱は出発日に受け取らなくてはいけません。しかし、予定通りに帰れなくなる可能性が出て来たから、箱が受け取れなくなる可能性も出て来たわけですよ。

私は心臓がバクバクして来て、顔が真っ赤にほてって、喉はカラカラになって上手く喋れないほどになって、完全にパニックモード!

パスポートが見つからないことを知った母も心配して一緒に探し始め、実家の金庫の中まで探し(そんな所に入っているわけがないのに!)、座布団や布団の下や絨毯の下まで探し(そんな所にあるわけがないのに!)、オーストラリア領事館にパスポートの再発行を頼むしかないと思い始めた時ですよ。

母が私がデスク代わりに使っている座卓の上にあった小さなポーチを指さして、「それは何?」と聞きました。その小さなポーチには、私の薬が入っていたんです。

「これには薬を入れているのよ」

そう言ってポーチのファスナーを開けたら、中には薬と一緒にパスポートが入っていました。

なんでこんなところにある!

「誰が入れたの!」と言っても、私以外に入れる人はいないわけですけど、私にはそのポーチにパスポートを入れたことなど記憶にないんです。

いやあ…

見つかって良かったですけど。

心臓も胃もおかしくなりましたよ。おかげでドジャーズが18回の裏にサヨナラ勝ちするところを見逃しました。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月28日

秋晴れの日の干し柿作り

私の下の妹の義父さんは、80歳を超えても大変お元気で、同居しておられる長男夫婦を含めた家族のために毎日のご飯作りにも奮闘されておられるそうです。

お料理の味付けがいつも大雑把で、お寿司を作る時でさえ寿司酢を目分量で作るため味が作るたびに違い、先日作った1升のお寿司はご飯が酸っぱい上に具材の味付けが薄くて、正直美味しくなかったと妹は言っていました。

味はどうかと聞く義父さんに妹は正直な感想を言ったそうで、妹はこの義父さんとは大変良好な関係なのでございます。義父さんから「フミちゃん、フミちゃん」と何かと頼りにされている妹の話を聞くたびに、うらやましくなるような仲良し家族なんですけど。

この義父さんは、農業にも励んでおられて、家族だけでは食べきれないお米や野菜や果物を妹に言づけて、うちの母に下さるのでございます。

昨日、早い昼食を終えて食器を洗っていたら台所の勝手口が突然開いて、その妹が入って来ました。大きな袋いっぱいの野菜を抱えていたんですけど、持って来たのは野菜だけではありませんでした。大量の柿を持って来ていたんです。

干し柿用の渋柿です。大きなコンテナ2個分でしたから、200個近くあったのではないでしょうか。

「うわっ、こんなにもらっても困るじゃん」と思ったのは私だけ。毎年この時期に干し柿を作っている母にとっては、ありがたいことなのです。

妹が帰った後、母は早速干し柿作りを始めました。母は包丁で皮をむき始めましたが、義父さんが下さった柿はとても大きくて包丁では大変だったので、ピーラーでむいた後に包丁で仕上げていました。

手が痛い私は、柿の皮むきは手伝いませんでした。皮をむいた柿を熱湯に通すとカビが来にくいという義父さんからのアドバイスを聞いて湯通しをすることにしたので、私がそれを担当しました。あとは、洗い物を立てだっただけで私はほとんど何も手伝っていません。

夕方が近づいたので、昨日は50個吊るしたところで作業は終了しました。


今日、次の50個を吊るすそうです。もらった柿はご近所の方にも分けたので、我が家の分は100個ほどになりますが、100個も誰が食べるんでしょうか。

まあとにかく、うちの母は活動的だし何でも作れます。ただね、干し柿作りの作業は母一人では難しかっただろうと思いますよ。柿の皮をむいたり熱湯に通したり紐に取り付けたりという作業は一人でも出来たでしょうけど、とにかく重いんですよ。

洗濯物を干す竿にかけているんですが、竿を持ち上げながらそれぞれ10個もの大きな柿が付いた紐をひっかけるのは簡単ではありません。そこのところは、私が手伝えて良かったです。


お帰りの前に1クリックを!
 


2025年10月27日

へその緒をオーストラリアへ持ち帰る

膝を痛める原因になった実家の2階の大片付けから2週間が経ち、膝も回復したので2回目の片付けをしました。まだ残っていた不用品を燃えるごみと燃えないごみに分類して袋に詰めました。

うちの母は90歳ですが、この歳になると親戚の人が亡くなったり介護施設に入ったりすることも多いですけど、そういう時に処分に困った家族から引き取って保管して来た衣類もたくさんありました。

今後使うことは無い衣類ですからね、処分した方がいいと母を励まして、私が袋に詰めました。この家には、まだまだ不要な衣類が山ほどありますが、2階の2部屋はほぼ空っぽになりました。

実家での滞在もあと1週間となった今朝、母が突然言いました。

「へその緒があるけど欲しい?」

「いらない!」と即答した私ですが、日本では子供が生まれた後、取れたへその緒を大事に保管しておく伝統があるんですよね。うちの母は、私と2人の妹のへその緒を大事に保管していました。

家で生まれた私と上の妹のへその緒は和紙に包んでありました。病院で生まれた下の妹のへその緒は桐の箱に入れられて、生年月日や生まれた時の体重や身長などの記録も書かれていました。

和紙の包みを開けてへその緒を見てみましたが、65年も経ったへその緒は白い粉が付いた黒い干からびた物体で、くしゃくしゃの塩昆布みたいでした。あの白い粉は何なんでしょうか。乾燥剤かカビでしょうか。

私はそれをもらいたいとは思わなかったんですが、うちの娘が欲しいと言うので、とりあえず家に持って帰ることにしました。

オーストラリアには動物性の物の持ち込みは出来ませんから、へその緒など持ち込めないだろうと思いますよ。検疫で廃棄処分になるんじゃあないかと思います。でも一応持って帰ってみます。

母は「カバンの中に入れておいて黙っていれば分かりはしない」と言いましたが、そういう違法なことはしたくない性分ですから、ちゃんと申告して検疫でどのような判断になるか、またこのブログで報告します。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月24日

足腰を鍛えなくちゃ

日曜日から岡山の実家に滞在していたうちの娘がメルボルンに帰るため、今朝早く岡山空港に向かいました。バスや電車を乗り継いで行くとかなり時間がかかるんですが、うちの母がタクシー代を払ってあげると言ってタクシーを手配してくれたので、直接岡山空港に向かいました。

やって来たタクシーの運転手さんは、以前この町で写真館をされていた方でした。20年以上も前に、私達家族はその写真館で家族写真を撮ってもらったことがあるんです。髪の毛を日本髪に結うのと着物の着付けで疲れた当時2歳の娘がぐずって言うことを聞かないので、写真撮影は大変だったんです。

その方のお母さんも一緒になってあれこれ道具も使ってカメラの方を向かせたり、バッグを振り回さないようにと叱ったりおだてたりと、苦労の末にいい写真を撮ってもらいました。今朝は、空港までの1時間ほど、娘はその方とずっとおしゃべりをしたそうです。

息子に続いて娘もこの家からいなくなり、母は少し寂しそうでしたが、すぐに活動を始めましたよ。今日の新聞に載っていた「脳トレ」のパズルを解いた後は、お昼に茶わん蒸しを作ると言って準備を始めました。本当に活動的です。


ところで、私の膝なんですけど…

私が実家に置いたままにしていた本や書類、古い衣類などの不用品の大片づけをした時に、急な階段の上がり降りをし過ぎたせいで膝を痛めてしまったわけですが。あれから2週間が経ち膝の痛みは良くなったんですけど、実家での暮らしで足腰が弱っていることを実感しているんです。

床に座ることが多い暮らしのせいです。寝るのも床に敷いたお布団で寝ていますし、テレビを見る時にも床に座ります。これを書いているノートパソコンも座卓に置いて座布団に座っていますし、家族が集まって食事をする時にも座卓です。

正座なんて私にはもう出来ません。お行儀は悪いけど足を延ばした状態で座るしかありません。そして、床に座ったり寝転んだりした状態から立ち上がるのに、めちゃくちゃ苦労するんです。簡単にひょいっと立ち上がるうちの90歳になる母の方が、よっぼど脚力があるのでございます。

先日一緒に買い物に行った時もそうでした。帰りのタクシーを待っている時にベンチか椅子に座りたくてたまらなかった私に比べて、うちの母はへっちゃらで立ち続けていたんです。「ヒロコより私の方が強いなあ」と母は言っていましたが、悔しいけどその通りなんです。

先日は、岡山の友人と来年あたりヨーロッパ旅行に行こうという話をしたんですけど、その友人も私もヨーロッパに行ったことがないので足腰が丈夫なうちに行っとかないと行けなくなるからそういう話になったんですが、今の私にはちょっと無理です。

まだ64歳なのに(あと2週間で65歳ですけど)、この歳でここまで歩くことに苦労していたんでは老後が心配です。膝の痛みが無くなりましたので、少しずつ足腰を鍛えなくてはいけません。

早速うちの母に教えてもらった簡単な運動をしました。「この運動を20回、次はこの運動を20回、…」と言われてやってみて、今朝は腿が少し筋肉痛です。

ホントやばいわ…

本気で頑張って続けます。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月23日

突然に夏から冬へ

今回の日本への旅行は、暑い時期を避けるために10月を選んだのに、到着した4日からずっと真夏のような蒸し暑い天気が続いていました。

実家の片づけをした一週間は連日10月とは信じがたい暑さで、首に手ぬぐいを巻いて汗をふきながらの大仕事でした。2階の部屋が危険な暑さになる午後は、片付けなど出来ないほどでしたよ。

赤穂の温泉ホテルに行った時も暑かったし、牛窓に行った日も暑かった。10月も中旬を過ぎたのにまだ半袖シャツで汗ばむような天気は全く異常でしたが、昨日突然冬になりました。家の外の気温は、午後になっても14度でしたよ。

今朝は8度と寒かったんですが、今日は快晴の素晴らしい天気になっています。午後には23度になるそうですから、今、大洗濯をしているところです。

今朝、うちの息子が次の目的地に向かって出発したんです。だからシーツ類を洗っているんですけど、出発した時に息子はバスの中で涙が出たそうです。

でもね、日本には行ってみたい所がたくさんあるので、出来るだけすぐにまた日本に来ると言っています。その時には母に会いに来ることでしょう。母も来年は91歳ですが、自分が元気なうちはいくらでも泊まりに来ていいと言ってくれていますから。

19年ぶりに日本に帰って来て、妹達やすっかりいいお母さんになった姪達とその子供達、大切な友人などとの幸せな再会が続きました。メルボルンに帰る日が近づいて寂しい気持ちにもなりますが、元気でいればまた会いに来ることが出来ますからね。

そのためにも、私は足腰を鍛えなくてはいけません。その話はまた明日。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月22日

携帯電話が絶好調に!

昨日の朝、うちの母の携帯電話、ドコモの「らくらくスマートフォン」が絶不調で、ラインが起動しないだけでなく、画面が真っ黒になったりして困っていると、

突然フリーズ!

どこをどうしても動かなくなりました。

「こういう時は一度スイッチを切ると直ることが多いよ」と提案してみましたら、スイッチを切るとか再起動するというコンセプトを母は理解していないんですから、それをどうやってするかも知らなかったのですよ。

近くに住む妹も私も、使っているのはiPhoneなので「らくらくスマートフォン」のことは良く分からないんですが、どの機種にもスイッチには共通のマークがついていますからね、スイッチボタンはすぐに見つかりました。

そのボタンをiPhoneでシャットダウンする時と同じように長押しするとメニューが現れましたので、「再起動する」を選択してみました。

再起動したドコモの「らくらくスマートフォン」でラインを起動してみると、

一瞬で起動!

電話も何の問題もなく音声が聞こえましたよ。もうタクシーを呼ぶのにスマートフォンに向かって叫ぶ必要もありません。ウソのように絶好調なんですからね、新しいのに買い替える必要もないでしょう。

やっぱり、調子が悪い時には「一度スイッチを切る」なんですよ。どうしてもっと早く気づかなかったのか、私もうっかりしていました。

母には、今度調子が悪くなったらこのボタンを長押ししろと再起動の方法を教えましたけど、忘れるかもしれません。でも、私も「らくらくスマートフォン」の使い方が少し分かりましたから、もし忘れても教えられます。

皆さん、パソコンでもスマートフォンでも、調子が悪くなったら一度スイッチを切って起動し直しましょう。たったそれだけで問題が解決することは多いですから。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月21日

携帯に向かって叫ぶ

90歳になるうちの母が使っている携帯電話は、ドコモの「らくらくスマートフォン」というやつで、私の妹達がiPhoneもアンドロイドもお母ちゃんには使いこなせないだろうと相談して、この使いやすい「らくらくスマートフォン」というのを買ったそうなんですが。

うちの母にはローマ字入力の方が楽だろうと思うし、使いこなせなくても日常的に使うインターネットとラインと電話機能だけでもiPhoneの方が簡単だと思うんですけどね、これをずっと使って来たんです。

オーストラリアにいる私とはラインでビデオ通話をしていますが、私の声が聞こえないと言って聞き返してくることが頻繁で、音量を最大にしているのによく聞こえないとはいつも言っていたんです。

昨日、母とうちの息子と娘、そして私の4人で小さなショッピングセンターに行きました。車がないのでタクシーで行きました。実家から10分ほどで行けます。和食のレストランで昼食を食べ、スーパーで買い物をしてから帰りのタクシーを呼ぼうとした時ですよ。

電話がかけられるのは母のスマートフォンだけですから、それで電話をしたんですけど、最初は母が大声で話していましたが「うんともすんとも言わん」と言って私に電話を渡しました。

確かにうんともすんとも言っていませんでした。「おかしいなあ、何も聞こえないよ。これ、通じているの?」と私達が話していると、蚊の鳴くような声がかすかなに聞こえました。

「聞こえていますよ」

「あっ、聞こえているんですか?」

安心した私は名前を名乗り用件を伝えたんですが、何の音も聞こえません。「だめじゃ!何も聞こえん!通じたんじゃろうか」分からないまま電話を切りました。

母が確認のために再び電話をして、大声で「もしもし、もしもし」と叫んでいましたが、すぐに切りました。公衆電話からかけた方がいいかもしれないと思い私が公衆電話を探していると、母は再び電話をかけていました。

今度は声が聞こえたらしく、タクシー会社の方は「先ほどの方ですね?現在向かっています」とおっしゃったそうです。母は度々電話をかけたことを大声で詫びて、確認したかっただけだと言っていましたが、聞こえにくいせいか叫んでいました。

タクシーは3回目の電話の後すぐにやって来ました。

母と私の叫びの電話は3回とも普通に通じていたのです。「だめじゃ!何も聞こえん!」と話す声も全部聞こえていたのですよ。

恥ずかし~!


毎日ラインで家族と連絡を取り合っている母ですが、このラインが起動するのにむちゃくちゃ時間がかかり、突然クラッシュしたりもするし、スマートフォンを買い替える時が来ています。

ドコモの「らくらくスマートフォン」は使いにくいと思うんですけど、母はこれに慣れているので同じタイプのを買うつもりのようです。

スマートフォンの契約が亡くなった父名義のままですし、料金の引き落としが父の口座からだったのにもうその口座もありませんから、請求書が毎月送られて来ていちいち支払いに行かなくてはいけないんだそうです。いろいろ不便をしているようなので早く解決しなくてはいけません。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月20日

家族大集合と携帯電話紛失

昨日、うちの娘が岡山にやって来ました。東京から始まって、岐阜県、名古屋、京都、神戸と過密スケジュールで旅行を続けて来た娘は疲れていましたが元気でした。

私達家族が短期間ですが住んでいた岡山県の総社という街で息子と私と合流し、総社市内に住んでいる私の下の妹が車を運転して、息子や娘が見たかった思い出の場所に連れて行ってくれました。

自分達が通った小学校を皮切りに、住んでいたマンション、よく通ったコープのお店跡地(火事で焼けたそうです)、大好きでしょっちゅう遊びに行った砂川公園、そして総社で一番有名な観光地「備中国分寺」などを見て回り、最後に思い出のレストラン「長崎ちゃんめん」で少し遅い昼食を食べてから実家に帰って来ました。

十数年ぶりに再会して涙ぐむ母と娘を見てもらい泣きしました。

娘との再会を心待ちにして来た従姉妹達は火曜日に会いに来る予定だったのですが、火曜日まで待ち切れなかった従姉妹達は自分達の実家である私の上の妹の家に集結して、娘の到着を待っていたようなんです。

私達が実家に到着した午後4時頃、やって来ましたよ、それぞれの子供達をみんな連れて。

「あっ、久しぶり」
「久しぶり~、元気だった?」

20年ぶりの再会です。「アンタ達さあ、ハグくらいしたら?」と言うと、「そうだねえ、ハグしようか」「したいしたい」そう言いながらハグしあっている娘と従姉妹達は、とっても日本人的なのでした。

これがオーストラリアだったらハグの嵐ですよ。

最初は恥ずかしそうにしていた子供達もすぐに慣れて大変にぎやかな時間を過ごしました。従姉妹達は、予定通りに再び火曜日にもやって来ます。


ところで、総社で私達をいろいろな場所に連れて行ってくれた下の妹ですが、砂川公園を見に行った帰りのことです。

次の目的地、妹家族の家(ここで従姉妹達を含めた妹家族に再会しました)を目指して砂川公園を後にしてすぐのことです。妹の車にはカーナビみたいなものがついていたんですが、それがしゃべったんですよ。

「携帯電話を忘れていませんか?」

「え?」と慌てて携帯電話を探す妹。

「ないわ!忘れとるわ!どこに忘れたんじゃろ?お便所じゃ!ポットン式だったから横のところに置いたんじゃった!」

車を停めた場所の近くのお便所に大急ぎで戻ったら、妹の携帯電話は置いたその場所にありました。昨日の砂川公園は大勢の人がキャンプや焼き肉を楽しんでいましたが、そのお便所は人が大勢いるところからは離れていたのです。それが良かったかもしれません。

まあとにかく、携帯電話が無事に戻って良かったんですけど、車が「携帯電話を忘れていませんか?」と聞いてくれなかったら、全く気が付かずに家に帰り、家に帰っても気が付かなかっただろうと言っていましたよ。

便利な機能があるものです。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月19日

睡眠不足で朦朧も忙しい一日

昨日の土曜日は、親しい友人とその息子さんと一緒に「日本のエーゲ海」とも呼ばれる牛窓というところに行きました。牛窓オリーブ園のある山の上から見る瀬戸内海は、期待していた以上に美しかったです。

目の前の海には小豆島が広がり、遠くには四国高松の屋島や瀬戸大橋もよく見えて感動しました。

美味しい天ぷら屋さんでお昼ご飯をご馳走になり、備前長船刀剣博物館日本一のだがし売場というところにも寄り、楽しい一日を過ごしました。

しかしですね、私の実家があるのは岡山県中西部の山間部。実家には車が無いので移動はバスと電車が頼りなわけですが、岡山までは行くのも帰るのも大変なんです。行きは岡山駅までの直行バスで行ったんですが、道路工事や渋滞などでめちゃくちゃ時間がかかり、エアコンを切っていたから車内が蒸し暑くて、二度と直行バスは使いません。

帰りは岡山駅から伯備線で帰りました。備中高梁駅というところで電車を降り、そこからはバスで帰るつもりだったんですけど、なんと最終バスに間に合わなかったんです。

その最終バスというのは、備中高梁駅を7時に出発するバスなんですよ。

最終バスが7時発!

田舎の交通事情はこれでも良い方なのでございます。

仕方がないのでタクシーで帰りました。1台だけ駅前にタクシーがいたのに運良く乗れたから助かりましたが、そのタクシーがいなかったらどうなっていたんでしょうか、ホントにもう。

子猫は今日も朝から床の間の後ろ辺りでニャアニャアと鳴いています。

そして、今日は2週間の過密スケジュール旅行を終えたうちの娘がこの家にやって来ます。私の母は大変楽しみにしています。従姉妹達も楽しみにしています。わずか4日の滞在ですが、良い思い出が作れますように。


昨日はメジャーリーグ野球のドジャーズの試合を観ることが出来なかったわけですが、そういう時に限って凄い試合になったと聞き、昨晩はYouTubeで大谷選手の大活躍動画を観て興奮したせいか、眠れなくなりまして。

12時近くなっても眠れなかったので睡眠薬を飲んで眠ったのに、2時間後に目が覚めてしまうという残念な結果になってしまいました。2時に目が覚めた後はもう眠れなかったので、今朝は朦朧としています。頭もクラクラしています。

今日は私達家族が以前住んでいた総社という街でうちの娘と合流して、私の妹家族に会う予定なので、これから再びバスと電車で総社まで行かなくてはいけません。

膝もまだ痛いのでバス停まで歩くのが大変ですが、頑張ります!


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月18日

子猫の鳴き声が続く

数日前から、滞在している実家の奥の和室の床の間の後ろあたりから、子猫の鳴き声が聞こえるようになりました。

ミィミィとか細かった鳴き声は次第に力強くなり、2~3日ほどからはミャアミャアとうるさいほどです。子猫の声ですし、このまま放置すれば死ぬかもしれないとも思うし、不憫なので保護してやりたい気持ちはありますが、犬猫の保護は田舎では簡単には行きません。

まず、動物保護センターなどというものが存在しないわけです。私の実家がある地域を担当する保護センターははるか遠くの岡山市にあり、車のない私達にはどうにもなりません。

保護したとしても、90歳の母がその猫を飼うことも出来ません。

しかし、ミャアミャアと一日中鳴き続ける子猫の声を聞きながら無視していると罪の意識が芽生えてきます。鳴き声が聞こえてくる場所に近づくと、気配を察して鳴きやみますからどこにいるのか分かっていませんが、物置のどこかだと思います。

昨晩は、うちの息子が親猫らしい声を聞いたというので、どうやら物置のどこかで野良猫が出産したようです。親猫がいると分かって少し安心しました。成長したらどこかに行くと思いますから。

それを聞いて、うちの母親がグレーの野良猫を見たことがあると言いました。どこかの飼い猫が逃げて野良化したのか、捨てられた猫かもしれません。

私の母は「近所の人達は野良犬でも見たら石を投げて追い払うけど、私はいじめたりしないから、きっと我が家の物置が安全なんだろう」と言って、子猫のことも気にしていません。居つかれても困るのでエサはやらないと言っています。

いずれにしても保護してやるという選択肢がないので、無視するしかありません。今日も朝から一段と力強い声でミャアミャアと鳴いています。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月16日

「脳トレ」パズル

私が滞在している実家は、過疎化が進む岡山県中西部の山間部にあり、実家には車も無いのでちょっとどこかに出かけるのもバスが頼りです。

家の片付けで重い物を持って急な階段の上がり降りを繰り返した私は、現在は歩行が困難なほど膝が痛くなっていてバス停まで歩くことも難しいので、家で過ごすしかありません。

今朝は暇つぶしに、90歳になるうちの母に勧められて新聞に載っている「脳トレ」パズルをやってみました。

これが簡単ではなかったんですよ!

今日のパズルは、文字を並べ替えて正しい言葉にするというものでした。こういうのがお得意の方には、見ただけで解けるようなパズルかもしれませんけど、私はですね、4問目まではそれこそ見ただけで分かったんですが、5問目が分からなかったんです。

1.ご に っ お こ
2.せ ー む ー ん げ た
3.い う し ゅ か い さ
4.く せ が ょ う い し
5.り び か た し と は

この5問目がなかなか分からなかったわけ。

うちの母親も分からないと言い、2人で頭を悩ませていたら息子もやって来ました。日本語は話せるとはいえ、息子には出来ないだろうと思っていたら、息子も4問目はすぐに答えが分かりました。

しかし、息子にも5問目が分からない。

母は途中であきらめて「ちょっと休憩」と言ってどこかへ行きました。息子と私はあきらめきれずに考え続けました。息子は例の最新版iPhone17のAI(人工知能)に答えを聞いていましたが、AIも分からないと答えたそうですよ。

「AIにも分からないのか、タイポじゃあないの?」と言ったちょうどその時、息子には答えが分かったんです。答えを教えてもらったら、分からなかったことが不思議なほど簡単な答えでした。

100%日本人の母と私には分からず、日本語力に劣る息子に分かったということは、やはり私や母の脳みそは老化しているということですかねえ。

うちの母は新聞に載る「数独」と「まちがい探しパズル」はいつもやっているそうですが、これからは「脳トレ」もすると言っています。私もボケ防止にこういうのをやった方がいいと思いましたよ。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月15日

腰痛ひざ痛ベーカー嚢胞

10月6日に岡山の実家に帰り、翌々日から本格的に始めた片付けで私はクタクタでございます。

先日の記事に書いたように、今回日本に来た理由の一つが実家に残したままにしている私の持ち物や、うちの夫が日本でやっていた事業が破綻した時にとりあえず置かせてもらったままになっていた家具やいろいろな物を処分するためでした。

そうした物は使っていない2階の2つの部屋に保管されてあったんですが、本も書類も服も何もかもが重いわけですよ。それを種類ごとに分類し、紐で縛ったりごみ収集用袋に入れるのも大変だけど動かすのも大変。

そして、そこに保管されていたのは私の物だけではないわけで、2人の妹達の服やバッグや靴や様々なものが3人分混じって置いてあったので、私は3人分の片付けてやっているのです。今年亡くなった父親の持ち物や服もたくさんありましたしね。

一日に何度も急な階段を上がり降りし、床の上で作業をやっているからひざや腰に負担がかかり、数日のうちに古傷のある右膝には痛みが生じて、なんと数年ぶりに、

右膝の裏にベーカー嚢胞が出現

今日はヨタヨタと歩いています。片付けは全部終わっていません。連日の猛暑の中で大汗をかきながらこれもいい運動だと思って頑張っていましたけど、ひざを痛める羽目になってしまいました。

今週の月曜日にはうちの息子がやって来ましたので、昨日は上の妹の旦那さんの力を借りて、旦那さんのバンに処分する物をパンパンに詰めてリサイクルセンターとごみ処理場に3回も往復して処分しました。

私が行っても役に立ちませんから、息子が一緒に行ってくれました。まだ処分する物は残っています。処分しなくていけない家具類はバンに入らなかったので残っていますし、まだまだ終わりは見えていません。

実家に持ち物を残したままにしている方は多いと思いますけど、皆さん、

片付けは大仕事ですよ!

 
お帰りの前に1クリックを!



2025年10月10日

凄すぎる90歳のうちの母

昨日の朝、3時47分に目が覚めてから再び眠ることができなかった私は、うちの母が起きるのを待っていました。母も早朝に目が覚めてしまって早起きをすることがよくあるそうなんですが、昨日は5時過ぎに起きたようでした。

テレビの音が聞こえて来たので行ってみますと、母は体操をしていました。目が覚めた後にベッドで行う柔軟体操に始まって、スクワットなども毎日やっているそうです。

朝ご飯を一緒に食べているんですが、実家に来ても私はコーヒーとポリッジ(オーツ麦のミルク粥)を食べていますが、うちの母は違います。

チーズを乗せて焼いたトースト、自分で作ったヨーグルトとバナナと季節の果物を食べ、激甘の熟成黒ニンニクを食べ、温めた牛乳にエゴマ入りのきな粉とハチミツを加えたのを飲みます。朝から食欲がすごいのです。

昨日は、私の妹の娘2人(つまり姪)がそれぞれ赤ちゃんを連れてやって来ました。彼女達は祖母であるうちの母が大好きで、しょっちゅう来るんだそうです。

孫娘達がひ孫を連れてやって来るというので、お昼ご飯に巻き寿司を作ると決めていた母はは、冷蔵庫にあるものを見てツナと魚肉ソーセージと卵焼きとレタスとキュウリを具にすると決め、準備を始めたんですけど、その時まだ6時半頃ですよ。

まずは寿司飯の準備だと言って、母は精米を始めました。お米は、いつも玄米を用途に応じて精米機で精米しているんだそうです。精米している間に寿司酢を作り、次々に具材を準備して行きます。

とにかく手際がすごいんです!

朝の家事もこなしながら、10時前には8本の超太巻きを完成させていました。ご飯がたくさん入ったパンパンの太巻きですが、どこも破裂していなくてさすがなんです。「ヒロコも巻くか?」と聞かれましたが、私は巻きませんでした。私はただ見ていただけで、洗い物を手伝っただけです。

私もお料理には自信がありますけど、まったくかなわない手際の良さなのです。

昨日は燃えるごみを出す日だと言うので一緒にごみを出しに行きましたが、収集場所の清掃などは母がボランティアでやっているんだそうです。

うちの母が健康で元気なのも頭が冴えているのも知っていましたが、実際に見るとあらためて驚かされます。しゃべる内容も黒柳徹子さん並みに凄くて、私が言いたい言葉がなかなか出てこなくて困っていると的確な言葉を教えてくれるくらいなのでございます。

ご近所の高齢者仲間のリーダー格であることは明らかで、皆さんに頼りにされている様子です。老人会のイベントで毎月「お食事会」というのがあるんだそうですが、市販の弁当が嫌いなうちの母は、その「お食事会」に料理を作って行くことも多いそうです。

「お食事会」の後のアクティビティーで、塗り絵をさせられたと不満を言っていました。あんなお人形さんの塗り絵などアホらしくてやりたくないとか、踊りやゲームなどしたくないとか、老人扱いにうんざりしているようです。

90歳を超えていますけど、知的レベルもご近所の皆さんとは一線を画すレベルなのでございます。

「おばあちゃんはホントに凄い」「自慢のおばあちゃんだ」「尊敬している」と、昨日来た姪達は言っていました。


巻き寿司と豆腐と卵のおつゆと紅白なますのお昼ご飯が終わり、姪達はそろそろ帰るのかと思っていたらいつまでたっても帰らず、母が姪達の大好物「棒ドーナッツ」を作ってあげようかと言うと大喜びし、母は「卵、砂糖、小麦粉」だけで作る固い棒ドーナッツをあっという間に作りました。もちろん油で揚げたんです。

姪達は、それぞれ上の子供達を保育園に迎えに行く時間まで母の家にいました。おしゃべりをしている間に、母は残っていた巻き寿司と紅白なますと棒ドーナッツを袋に詰めてそれを孫娘達に持たせ、キッチンの前の段を飛び降りて姪達が車を停めていたところまで歩いて行き、見送りをしたのでした。

睡眠不足もあって、くらくらヨタヨタしている私なんかよりもよっぽど行動的なのでございますよ。小柄だった母は、現在身長が140センチだそうですが、とにかくもう元気で行動が速いし、常に動いているし、頭の回転も負けそうなのでございます。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月9日

片付けが大変すぎる件

今年、19年ぶりに日本に来た理由は、90歳になった母親が元気なうちに会って時間を一緒に過ごすためですけど、もう一つの理由は実家に残したままにしている私の持ち物や、うちの夫が日本でやっていた事業が破綻した時にとりあえず置かせてもらったままになっていた家具やいろいろな物を処分するためでした。

実家の2階に置かれていた物を昨日から片付け始めたんですけどね、実際に始めてみたら思っていた以上に大変だったんですよ。処分するためには分別をしなくてはいけないからです。

日本に着いてからすぐに思い知らされたのが、このごみの分別。大量にある書籍は、オーストラリアだったらリサイクルごみ収集容器に入れるだけ。あるいは一般ごみ収集容器に入れてもいいです。

2年前に私たちが引っ越しをした時には大量の物を処分しましたが、夫が勤めるツールショップの事業用大型ごみコンテナにどんどん放り込んでおしまいでした。

ところが、岡山の実家のある自治体ではそうは行きません。ごみは細かく分別しなくては捨てられないんですから。

「燃えるごみ」「燃えないごみ」「リサイクルできる紙類」それ以外にももちろん細かく分類します。おそらく他の自治体でも同様だと思いますけど。

昨日は、まず私が残して行っていた本を片付け始めたんですが、紐で十字に縛ってから収集場所に出さなくてはいけないと言われ、大変な手間がかかっています。

「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の分別も悩むことが多いですよ。プラスチックは「燃えるごみ」だと言われても、金属の部分があるものも多いですし、「これを燃やして大丈夫なのか?」と思うんです。でも、うちの母はそういうのも「燃えるごみ」だと言うのです。

本棚の半分くらいを空にした後、別の部屋の押し入れや戸棚の中を見て呆然としましたよ。ものすごい量なんです。袋に入れたり紐で縛るなりして廃棄する準備がしてあれば、通常のごみ収集日に少しずつ出すと母親は言うんですけど、90歳の母親にとてもそんなことは頼めません。

廃品回収業者を頼もうと思っています。業者に頼むのなら、書籍類を紐で縛ったりする必要はないでしょう。おそらく「燃えるごみ」扱いになるでしょうけど。

どうせ業者に来てもらうなら、今年亡くなった父親の服や持ち物、もう使うことがない物などもついでに回収してもらおうということで、大仕事になりそうです。私はもう1日目で腰が痛くなっていますよ。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月8日

思惑は大外れ!

何の思惑が外れたかと言いますと、

花粉症のことです!

オーストラリアでは、花粉症のことを「ヘイフィーバー」(Hay Fever)と呼ぶことが多いですが、それは「ヘイ」(Hay)すなわち干し草(牧草)の花粉がアレルゲンとなる場合が多いからなんですけど。

牧草というのはおおむねイネ科の植物で、どこの家にもある「芝」もイネ科だし道端にもイネ科の草がいっぱい生えています。私がアレルギーがあるのは、このイネ科の植物の花粉なんです。

春になると花を咲かせて花粉を飛ばしますし、芝刈りや草切りをすることが増えますからね、イネ科の植物の花粉症シーズンは春からが本番です。毎年10月から11月が最も症状がひどいんですが、今年の花粉症シーズンは今回の旅行に出発する直前に本格的に始まりました。

しかし、10月は日本で過ごすのでね、その間は花粉に苦しむことはないと思っていたわけですが、この思惑が大外れとなったのですよ。

成田空港でもホテルでも鼻はむずむずしていました。新幹線の中ではほぼ大丈夫。

ところが、岡山駅で新幹線を降りてすぐにくしゃみが始まりました。近くに田んぼが残る住宅地にある友人宅でもくしゃみが出ました。

そして、翌日、兵庫県の赤穂市にある赤穂大石神社に行った時ですよ。そこは忠臣蔵で有名な四十七義士を祀る神社なんですけど、周囲には田んぼや草地がたくさんあったんです。そこでくしゃみが出続けましてね。

収穫前の田んぼの稲から花粉が飛んでいるとは思わなかったですけど、とにかく私がアレルギーのある花粉が飛んでいることだけは確かでした。まさかこんなことになるとは思っていなくて、抗ヒスタミン薬を日本に持参していませんでしたから、とにかくもうブーブーと鼻をかみ続けるしかないわけで。

車の中に入ってからは落ち着きました。海辺の温泉ホテルでもくしゃみは出ませんでした。岡山の実家に帰って来てからもくしゃみは出ていませんが、目が少し痒いです。何かの花粉が飛んでいます。

「私に経済力があって健康だったら、毎年花粉症の季節には花粉が飛んでいない北半球に行けるのに」などと先日の記事に書きましたけど、北半球でもこの時期アレルゲンとなる花粉は飛んでいるということですよ。

田んぼの稲だけでなく、イネ科の草なんて日本でも至る所に生えています。牧草として輸入されたイネ科の植物が、日本全国に広がったそうですからね。そして、そうした植物の花粉は真冬以外は年中飛んでいるそうです。10月の日本では花粉症から解放されると思っていた私は考えが甘かったです。

抗ヒスタミン薬というのもいろいろ種類があって、眠くなるのがあったり私には効き目がなかったり副作用が出たりするんですよ。処方箋が必要な薬は購入が難しいわけですし、いつもオーストラリアで利用している「Telfast 180mg」という薬を持って来るんだったと後悔しています。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月7日

日本語聞き取り困難記

岡山の実家に来ています。むちゃくちゃ暑いです。エアコンがないとやっていられない真夏並みの暑さです。

成田空港に着いたのは10月3日金曜日の夜。うちの息子が心配したような処方薬の持ち込みについてなど何も聞かれず、お土産を詰め込んだダンボール箱のチェックもなくて、入国審査も税関審査もスイスイと進んだんですが、空港のスタッフの方達がみんなマスクをしておられたせいか、聞き取りにくいなあとは思っていたんです。

到着ロビーに出てからは、することが3つありました。まずは「WiFiレンタルどっとこむ」で予約してあったポケットWiFiの受け取りです。カウンターはゲートを出たところにありました。若い男性が対応してくださいました。

予約してあるポケットWiFiを受け取りたい旨を告げてそのスタッフの方とのやり取りが始まりまして、大汗をかいていた私は冷や汗をかき始めたのでございますよ。だって、

その人が何を言っているのか分からないんですもの!

機関銃のようにペラペラペラペラと繰り出される言葉がマスクでこもっているのもあって、私には全然理解できなかったのですよ。

「もっとゆっくりしゃべってください」と頼んだ後は問題なくて、その男性スタッフは私のiPhoneにパスワードを入力して使える状態にするところまでやって下さって、大変に親切だったのでございます。

ATMで現金を引き出した後は、お土産を詰め込んだダンボール箱を岡山の実家まで送るためにヤマト運輸のカウンターに行きました。荷物の送り状が見えなくて困っている私にスタッフの方は大変親切だったんですけど、ここでもスタッフの方の日本語の聞き取りに苦労する私。

そして、その夜泊まったホテルでも同じだったんです。フロントのスタッフの女性が言っていることが聞き取れなかったんですよ。

私の日本語力の衰えも原因かもしれませんけど、何しろ20年ぶりの日本ですからね、でもね、最大の原因はあの人達の早口だと思うんです。

岡山に着いてからは、友人と赤穂の岬の先端にある瀬戸内海を望む温泉ホテルに泊まったりして小旅行を楽しんでから実家に帰って来たんですが、その温泉ホテルでも同じように日本語の聞き取りに苦労しました。

そして、私は確信しましたよ。

若い日本人の皆さんは早口なんです。20年前とは確実に違っていますよ。特に若い人達が日本語を話す速度は速くなっていると思います。

日本の若者の皆さん、シニアと話す時にはもう少し速度を落としてくださると助かります。特に仕事上マスクをしている皆さんは、ゆっくりめではっきりと話していただかないと聞き取りが難しいですので、よろしくお願いします。

私はだんだんあきらめちゃって、友人に「今の人なんて言ったの?」と後から教えてもらっていたました。耳が慣れて来たら、もう少しは聞き取れるようになるものと期待していますけど。


お帰りの前に1クリックを!



2025年10月2日

いよいよ明日出発です

日本への旅行は、いよいよ明日出発です。私は、成田空港までは息子と一緒に行きます。一人では不安なので、帰りも成田空港で待ち合わせて一緒に帰ります。

うちの娘は明後日の土曜日に出発です。最初は同じ土曜日に3人一緒に行くつもりだったんですけど、土曜日出発だと航空料金が随分高かったんですよ。1日違うだけで金額が大違いだったんです。それで私と息子は別の日にしたんですが。

実は、娘は現在風邪を引いているんですよ。もうね、必ずこうなるんです。学校の休みとか遠足とか発表会とか、楽しみにしていることがあると必ず病気になる子でしたけど、今でもそうなんです。そして、今回の旅行を前にまたも病気になっているんですから。

偶然と言うには、あまりにも高確率なんですよ。何か原因があるんでしょうか。出発直前まで仕事があるそうですから大変です。早く良くなりますように。

私は、明日の出発を前に少し緊張しています。しょっちゅう日本に一時帰国していらっしゃる皆さんには特別なことではないでしょうけど、私は19年ぶりの日本なんです。成田空港までは息子が一緒だから助けてくれると思いますけど、一人になってからが不安です。

ここ数日、頭がひどくクラクラしているんです。それが不安の原因です。頭がクラクラしていても家事は出来るし、家の中を歩き回ったりスーパーまで行って来ることは出来ますけどね、人が大勢いる空港や駅の中を移動するっていうのが心配でたまりません。

キョロキョロしなくちゃあいけないでしょ?頭を動かすともっとクラクラするんです。耳石が原因の回転するめまいが突然始まるのが一番の心配ですが、病院に運ばれるようなことになったらどうしようかと、そればかり心配しています。


明日の朝は5時に家を出る予定です。空港まではウーバー(Uber)で行きます。

ウーバーと言うのは、タクシーみたいなものです。スマートフォンのアプリを使って乗客と運転手をマッチさせて配車するサービスです。メルボルンではタクシーよりもはるかに多くの人が利用しています。

アプリで目的地と時間を入力すると料金の見積もりが行われ、その仕事を引き受けたい運転手がいると連絡が来て、乗客と運転手が合意すると運転手が所定の場所まで迎えに来てくれるというわけです。

車に乗ってから「どこそこに行ってもらえますか?」と頼む必要もないし、断られる可能性もありませんし、料金がいくらになるかと気を揉む必要もありません。支払いはアプリを通したキャッシュレス決済なので、車の中で支払いをすることもありません。

日本では、免許を持たない一般人がお金をもらって人を運ぶのは「白タク」行為で違法ですから、ウーバーは普及していないそうですね。その代わりに、タクシー事業者と連携したウーバーがあって、そのアプリでタクシーの配車が出来ると聞きましたけど、岡山県では利用出来ないそうなので残念です。

明日からしばらくブログを書けないかもしれません。次の記事は岡山に着いてからになります。


お帰りの前に1クリックを!




2025年10月1日

うちの夫がデモーション

「デモーション」(Demotion)という言葉は、日本では馴染みがない言葉かもしれません。

「プロモーション」(Promotion)という言葉はもう日本語化していると思いますが、商品の販売促進活動を意味することが多いようですけど、「昇進する」という意味もあるんです。

「デモーション」はその逆で、「降格する」という意味です。今日の話題は、うちの夫がツールショップの店長職から降格したというニュースです。

昨日、夫が勤める店舗に地域マネージャーがやって来て、店長職を若いスタッフのC君に譲り、夫はただの営業スタッフになることについてどう思うかと聞かれたそうなんですよ。

何の落ち度もない店長をいきなり降格するわけには行きませんから、「どう思うか?」と聞いたんでしょうけど。

C君はまだ若いけど、夫が仕事が休みの日にはお店の運営を任せている最も信頼するスタッフなんだそうです。ツールショップ業界で成功したいという意欲があり、頭も良くて理解が速く、向上心があって新しい知識を学んでいるそうです。性格も良く、スポーツマンなので身体も丈夫で健康で、チームワークというものを尊重し、本人が店長になりたいのなら適任だと夫は言ったそうです。

それを聞いた地域マネージャーは、ホッとした様子だったそうですよ。うちの夫との話し合いがどういう方向に進むか、とても心配していたのだそうです。

店長から営業スタッフに降格しても、給料はそのままで減給は無いということだったので夫はその場で降格を受け入れ、地域マネージャーが持参していた書類にサインをして、ただの営業スタッフになったそうです。

これで仕事の量が大幅に減りますよ!

責任も減り、夜中に警備会社から電話がかかって来ることもなくなり、泥棒被害の報告書を作って警察に持って行くこともなくなり、スタッフが足りなくなって休日に出勤するとか、商品搬入のトラックが来るからと朝の4時に出勤したりすることも無くなるでしょう。

勤務シフトのやりくりに苦労することも無くなります。これからはもう、夫が最も好きな仕事である「お客さんと話をしてツールを売る」というセールスの仕事に集中出来るわけです。


うちの夫は視力が悪化していますからね、いつかは店長職からの降格を会社に願い出る必要があったと思うんですけど、会社の方から減給無しでの降格をお願いされたわけですから、むしろ良かったんじゃあないでしょうか。

夫の方から会社にお願いして降格してもらうと、減給になる可能性が大きいですからね。

新店長になったC君は非常に向上心があるのに、夫が店長職に居続ける限り店長になるチャンスが無かったわけです。うちの夫はC君の昇進と自分の降格を喜んでいましたけど、あれは本心からだと思いました。

そりゃあまあ、キャリアの終りが近づいて来ているということで、寂しい気持ちはあるかもしれません。リーダーとしての役割にやりがいを感じる人ですからね。でも、降格して良かったと私は思っています。

それにしても、どういう理由で会社から降格の話が来たんでしょうかね。

まあとにかく、今日はうちの夫が店長ではなくなったというニュースでございました。


この記事を書いてから2日後にこの追記を書いています。どうして降格したのかが分かったんです。C君が店長になりたいと言っていたわけではないんですって。

かつて、人権とか社員の権利ということに関する大きなミスをして辞職に追い込まれた人が、再び会社に雇用されて地域マネージャーの上に立つ管理職になったんだそうですよ。

辞職せざるを得なくなったそのトラブルにうちの夫が関わっていて、夫はこの人に恨まれていたんだそうです。つまり、今回の降格はこの人からの仕返しだったのですよ。

どこかの国の大統領がかつての敵に仕返しをしまくっていますけど、同じことだったんです。こんな個人的な仕返しが可能になるとは驚きです。


お帰りの前に1クリックを!