2011年10月8日

ツレがうつになりまして

「ツレがうつになりまして」が、映画になったそうだ。

原作の漫画本(細川貂々作)は、私がうつから回復しかけた頃にアマゾンで買って(アマゾンは海外にも発送してくれる)泣きながら読み、さらに回復して行く間に何度も繰り返し読み、今は本棚に置かれて「希望の星」のように黄色く光っている。装丁を黄色基調にしたのはグッドチョイス!具合が悪かった時には、この本の黄色い色が気持ちよく見えた。


この本「ツレがうつになりまして」は、現在具合が悪い人が見ると、かなり苦しくなるヴィジュアルがたくさん含まれている。私だったら、とても見られなかっただろう。うつ病の、あのどうしようもない苦しい感じが、コミカルに描かれているとはいえ目に見えるのだから、インパクトは強烈である。

この本を買った頃、私は、コンディションがかなり良くなってきていると自分で感じていた。偶然、何かのウェブサイトでこの本のことを知って取り寄せたのだが、いざ読み始めてみると、この漫画本は、スイスイと読み進める本ではなかった。読みながら、私は涙をぽろぽろ流した。時にはのどの奥に「ウッ!」と何かがつっかえたような気持ちになり、そんな時は読むのを止めた。少しずつ読んだ。ところどころに挿入されたツレさんのコメントが、本当に重要だった。

そして全て読み終わって、私は気持ちが軽かった。私も良くなってきているぞ!と思えた。

ツレさんにとって家事が究極の作業療法だったように、私にも一つ回復を大いに助けてくれた作業がある。それは「草取り」。人に会いたくないので家の外に出ない日々が続いて、いつの間にか我が家の周りは草ボーボー状態になっていた。芝刈り機で切ってしまえない場所がたくさんあって、手で抜くしかない状態だった。ある日、しかたなく草取りを始めた。黙々と草を抜く。すっと根っこが抜けると気持ちがよい。根っこが抜けずにちぎれると悔しいので、なんとか根っこまで全部抜けるように工夫する。1時間ほど一人で黙って抜いた。そして、草が無くなってすっきりした所を眺めると、感じた満足感は大きかった。「草取り」は、究極の黙想アクティビティーだった。その後「草取り」は私の日課になり、草を取れば取るほど心が落ち着いて行った。

私は、子供の頃からずっと100点満点の自分像があり、それに近づこうとする生き方をして来たと思う。それは間違っていると気づき、自分の欠点も弱さも自分の一部と受け入れ、他人からの評価を気にせず、「こういうのもあり!」という生き方ができるようになったのは、うつ病になったのがきっかけだった。「絶対こうするべき!」とか「こうでなかったら、私は落伍者…」とか「負けるものか!頑張るんだ!やればできる!」とか「途中でやめたら卑怯もの」とか、そういう自分を追い込んで行く生き方だった。

今は、「まあ、なんとかなる!」とか「そんなに無理することはない」とか「途中でやめてもいいんだよ」とか、そういう自分に逃げ道を作ってあげる生き方だ。自分の人生は、自分の心に従って生きれば良い。その生き方が他人にどう評価されるかなど、重要なことではない。「こういうのもあり!」と思えたら、頑張らなくなれるし、小さなことにくよくよしなくなる。

映画版「ツレがうつになりまして」、DVDが出たら見てみようかな。


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