2012年7月5日

The Voice ザ・ヴォイス

チャンネル9が放送して大ヒットした「The Voice」というオーディション番組がある。

クリスティーナ・アギレラがコーチの一人として出演したUS版をご存知の方も多いだろうが、今年オーストラリア版が制作されたのだ。

オーストラリア版「ザ・ヴォイス」のコーチは、英国人アーティストのシール、アメリカのロックグループ「グッド・シャーロット」のヴォーカルで二コール・リッチーの夫としても有名なジョエル・マッデン、オーストラリア生まれのカントリー歌手で女優二コール・キッドマンの夫でもあるキース・アーバン、そして同じくオーストラリア人歌手のデルタ・グッドレムの4人だった。

音楽オーディション番組は、これまでにもオーストラリア版がいろいろ制作されていて、サイモン・コーウェルがプロデュースした「アメリカンアイドル」や「Xファクター」のオーストラリア版もヒットしたが、今年4月に始まったこの「ザ・ヴォイス」は、まあ空前の大ヒットとなった。

私も毎週夢中になって見た一人であります。

オーストラリア版「ザ・ヴォイス」の4人のコーチ

この番組の特徴は、「ブラインド・オーディション」と呼ばれる一番最初のステージ。「ブラインド=見えない」という言葉のとおり、コーチ達は客席の方を向きステージに背を向けて座っており、出場者を見ることができない。外見ではなく歌声のみに基づいてコーチたちが決断を下すわけだ。

コーチたちは、それぞれ自分のチームに12人のメンバーを選ぶことになっている。歌声を聴いて気に入り、自分のチームに欲しいと思ったらボタンを押す。するとイスが回転し、初めて出場者を見ることが出来るというわけだ。ボタンを押したのが一名以上の場合、出場者のほうがコーチを選ぶことができる。

もちろん、応募者は「ブラインド・オーディション」に来る前に、応募ビデオによって絞り込まれているので、とんでもない音痴やふざけたバカ者がやってきて、不愉快なパフォーマンスにうんざりするようなことは全くない。どの出場者も上手なのだが、ただ歌が上手とか声が良いというだけでは、コーチたちの心を動かすことが難しい。

次のステージは「バトルラウンド」と呼ばれ、コーチたちが自分のチーム内から2人ずつメンバーを選んでスタジオの観客の前で同じ歌を一緒に歌わせ、競わせる。そのパフォーマンスに備えるために、コーチたちはメンバーを指導し、アドバイスを与え、彼らが成功した秘訣を伝授していく。

スタジオでのパフォーマンスの後、コーチは、より優れている方を選ぶ。バトルラウンドの後は、各コーチたちによって選ばれた最強メンバーのみが残り、「ライブ・パフォーマンス」へと進むことが出来る。

最後の「ライブ・パフォーマンス」 では、各チームのシンガーたちが生放送で競い合う。視聴者たちはお気に入りのシンガーに投票し、その投票結果とコーチたちの判断により、誰が残るか、誰が脱落するかが決まっていく。その発表も生放送内に行われるのだ。

そして最後のファイナルでは、各チームでそれぞれ勝ち残った1人ずつのメンバーが「The Voice」の名誉を手にするために競い合い、優勝者には賞金とレコーディング契約が与えられる、というのがこの番組のコンセプト。

ああ、私は、出場者のうちの一人に、一番最初の「ブラインド・オーデション」の段階でフォール・イン・ラブ!毎週せっせと投票したし…、iTunesでその人の歌も買ったし…、一生懸命サポートしました!

その出場者とは、いったい誰か?

それは、また明日…。


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2012年7月4日

Centrelink センターリンク

Centrelink(センターリンク)というのは、オーストラリアの連邦政府の機関でして、人々が自立して生活できるように援助したり、サポートを必要とする人々を助けてくれるところです。老齢年金をはじめとする社会保障給付制度を運営しているのもここです。洪水や山火事など災害からの復旧支援などもしています。

Centrelinkの悪い評判は、何度も聞いたことがありました。とにかく長時間待たされ、尊大な態度のスタッフは、いかにして給付金を出すのを難しくするかという使命に専心しており、必ず惨めな気持ちにさせられ、あれやこれやとレポートやら資料やらを提出させられるから申請そのものが難しく、所詮はお役所仕事なので期待はするな…と、足を運びたくなくなる場所という評判だったのでした、私が聞いたところではね。

しかし、会社が倒産してからずっと続いていた困窮生活でしたが、私が勤めていた会社を腰痛を理由に解雇され、再出発を目指して頑張っていた夫が精神的に打ちのめされて毎日寝ているようになって、とにかく私が仕事を見つけなければ食べていけないわけだし、仕事を見つけるまでの生活費をどうにかしなければならなくなって、友人がCentrelinkへ行くようにと強く勧めてくれたのです。

そして、RingwoodのCentrelinkオフィスに行きました。
  • 広いです。清潔でよく整理されていて、気持ちの良いオフィスです。
  • 入って直ぐにスタッフの人が待ち構えていて、何の用事で来たのかを聞いてくれます。そして、その後どうしたら良いのか、どこで待てばよいかを教えてくれますから、何も心配することがありません。
  • 待っている間、周りを見渡すと、様々なインフォメーションが冊子で用意されていました。移民の国ですから、英語以外の様々な言語で書かれています。
  • 英語でのコミュニケーションに不安があれば、無料で通訳を頼めます。
  • 確かに待たされる時間帯もありますが、それはしょうがないと理解しましょう。
  • インフォメーションは、オンラインでも電話でも手に入りますし、相談もできます。
  • スタッフは、大変親切で、Centrelinkには何度も行ったけど、尊大な態度の人など一人も見たことがありません。本当に助けようとしてくれます。
  • 仕事を探している人には、求職活動の支援もしてくれます。
  • 特に、今年になって「うつ」のために仕事ができなくなって行った時には(もちろん夫が同伴…)、待ち時間を短くするように配慮してくれて、ニュースタート給付金(失業手当とは言わず新しい出発のための給付金と呼ぶ)の再申請をしてくれたスタッフの人など、本当に思いやりを見せてくれて、適切なアドバイスをしてくれました。
困ったら、まずCentrelinkへ相談してみればなんとかなります。家庭内暴力、貧困、病気、突然の失業、災害…と、様々な困難に直面している人々を助けてくれるCentrelink。

しかし、夫はプライドのためかCentrelinkへの給付金申請を拒否。Centrelinkからお金をもらうよりも、自分でアルバイトでも何でもして稼ぐと言うのでした。

ですから申請したのは、私だけ。夫と私ふたりの収入がゼロの場合の2週間分の給付金は、約500ドルちょっと。5万円という感覚ですね。はっきり言って、2週間5万円で全く生活していけません。オーストラリアのインフレは凄まじく、5万円は家族四人が食べていくだけでやっとです。光熱費や子供の学校関係の費用はどうする?家賃はどうやって払う?無理ですよ。

だから、とにかく仕事を見つけて働いて稼ぐしかない。

でも、どうにもならない危機が何度もありました。そうなると、夫は寝続けてしまいます。(「うつ」は眠れなくなると決め付けてはいけませんよ。私の夫のように寝続けるという場合もあるのです。)

その時に助けてくれたのは、やはり家族。私の日本にいる両親、夫の母、そして最大の援助をしてくれたのが、夫の妹のリアナでした。

リアナの精神的&経済的援助がなかったら、私の「うつ」はもっとひどくなっていただろうし、夫も前向きに求職活動に取り組めたかどうか分かりません。夫は、やりたい仕事の分野や会社の倫理観などにもこだわったので、就職するまでに何ヶ月もかかりましたから。彼女の援助のおかげで、私は早く良くなって仕事をしなくてはならないというストレスから開放されて回復に向かうことができたのですし、夫も良い会社にやりがいのある職を得ることができたのです。リアナには心から感謝しています。

私も、早く100%回復してやりがいのある仕事ができるようになりたいものだな。

でも、「頑張れ」ってまだ言わないでくださいね。「頑張れ」って言われると、まだちょっと辛い感じがあるのです。「応援してるよ」「見守っているよ」と言われると「よし、頑張るぞ!」と思えるのは、回復している証拠だと思います。



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2012年7月3日

「不眠」の次は「椎間板ヘルニア」

「うつ」と「不眠」で家に引きこもっていた間、一体どうやって食べていたのかと不思議にお思いでしょうね、皆さん。

オーストラリアには、センターリンク Centrelink という社会福祉事務所のようなところがありまして、私のような者を助けてくれるのですよ。このセンターリンクについては、また後日書くことにいたしまして、今日は「不眠」問題の続き…。

私のように非常にまめで、真面目で、正しく、まっすぐで、何事も頑張らずにはいられないなような人は、「うつ」になりやすいと言われますが、こういうタイプは「やるしかない!」といったん決めたらとことんやるんですから、睡眠導入薬も「止めるしかない!」と心の底から決心したら、ちゃんと直ぐに止めることができたのです。

ゾンビ状態は3~4日ほど続きました。眠れなくて朦朧(もうろう)としている私がグチグチ言っても、ゴロゴロしていても、何も責めるようなことを言わず、黙ってやり過ごしてくれた家族のおかげです。

全く眠れない苦しい日が続いたとしても、それが永遠に続くわけがないんですよねえ。3日目には、いつの間にか爆睡していました。ものすごいイビキをかいていたそうです。やれやれ…。

(今オーストラリアでは、オリンピック選手の睡眠導入薬中毒が話題になっておりまして、チームドクターが処方するいくつかの睡眠導入薬が使用禁止となるということで論争を巻き起こしています。昨夜のテレビ番組で発言していた有名水泳選手は、私が使用した薬 Normison を長年に渡って使用していて、睡眠導入薬の重要性を力説しておりました。「脳みそん」ではなく「ノーミゾン」と発音しておりました。)

さて、なんとか眠れるようになってからは、メキメキと(って正しい表現だろうか…)元気を取り戻し、心臓のバクバクがおさまり、スーパーへの買い物も一人でへっちゃらで行けるようになり、まだ人に会うのは億劫だったけれど普通にコミュニケーションできるようになり、「何かやりたい!」と意欲が出てきました。

そこで取り組んだのは、以前「うつ」からの回復を大いに助けてくれた「庭の草取り」!

裏庭に作っていた四つの野菜畑は、木枠で囲った「レイズドガーデン」という腰の弱い私用に地面から高くした畑です。この畑の周囲がですねえ、夏場にほったらかしていたために草ぼーぼー。これを2日がかりできれいにしたのです!私、かなり頑張りました!

「もう止めたほうがいいよっ!後から大変なことになるよっ!」と、夫は言う。
「大丈夫よぉ!少しずつやってるし、ここに野菜を植えれば家計も助かるじゃない?」と、久しぶりに明るく意欲的な私は言う。

しかし、実を言うと、草取り開始後1日目の終わりにはすでに腰が悲鳴を上げていたというのに、無理をしていたのです。私の背骨は、交通事故のせいで下から5番目だかの骨が曲がっていて、椎間板ヘルニアという持病があるのです、はい…。

歩行も困難なほど痛くなっていましたが、「だから言っただろう!」と止められるのを恐れて、元気なふりをして家事もハツラツと取り組む私。

そして、3日目のこと。
「今日はもう畑をしてはだめだよ!」と言って夫が仕事に出た後、私は畑に直行したのです。

種をまくために畑を耕し、土を掘り起こして畑の中にまで侵入してきている雑草を取り除き、堆肥を混ぜ、茂りすぎたイチゴを別の畑に移し…。腰が相当ひどい状態になってきているのに、あと少し、あと少し…と作業を続ける大バカ者の私。

「ううぅ、こりゃもう無理だわ…。いくらなんでも、これ以上やったら大変なことになる…」
そう自覚して作業を止めた時には、もう遅すぎました。

立つこと、歩くこと、座ること、横になること、全て困難…って、一体どうしたら良いのでしょうね。しかし、家族の同情は期待できません。「大変なことになるから止めて」という家族の目を盗んでまで畑をやりすぎた私の責任は重大です。

「腰が痛いから晩ご飯作れません」とは言えません。
「腰が痛いから買い物に行けません」とも言えません。

痛み止めを飲み、歯を食いしばって、最低限の家事だけは頑張ろうとしたのだけど、やはり最初の数日は、痛すぎてどうにもならず…。
「これ以上痛くなったら僕達みんなが本当に困るから、お願いですからベッドで寝ていてください!」と、夫に言われてしまいました。

なんとか苦痛に顔をゆがめなくても動けるようになるのに2週間以上、痛みが和らいで通常の生活ができるようになるのに1ヵ月半もかかりました。完全に回復したのはつい最近のことなのです。

車椅子のレンタルを真剣に考えたし、eBayでウォーキングフレームという歩行補助杖を買おうかと真剣に悩みました。

自業自得…。

家族には、心配と迷惑をかけ続けているんですよね…私。ホントに、ごめんなさい。

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2012年7月2日

「うつ」のち「不眠」

ゾンビのような状態というのはですねえ、抗うつ薬の副作用のために「つわり」のようなというか「車酔い」のようなというか、ひどい吐き気に常に襲われているために、とにかく気持ちが悪すぎてなーんにもやる気がでない上に、体が重く、頭の中はドヨーンと濁ってボーっとなっているような状態です。

それでも、洗濯と食事の準備はなんとかやっていました。掃除はどうしてもやる気が出なかったので、家の中は大散らかりのままでしたけど…。娘のサチがかなり手伝ってくれたので助かりました。

抗うつ薬を飲むのは初めての経験ではなかったので、副作用がどのように&いつ頃まで続き、その後どのように回復していくかは大体予測できていましたから、その点で今回は楽でした。子供達には、具体的に私の病状と見通しを説明しておきました。前回は、子供達も幼くて、私は病気を隠して無理をするしかなかったんですから、今回は病気を理由に堂々とゴロゴロできて、この点でも楽だったな。

ゾンビのようなありさまでも、家の中で家事をするのは、なんとかなります。服装も気にしなくて良いしね。とにかく、ゆっくり…ゆっくり…、自分がやれるだけ、なんとかぼちぼちやっていればよいのです。しんどくなれば、直ぐにベッドに行って寝てればいいのだし。

しかし、スーパーへ買い物に行くのは、これはもう非常に困難な一大事なのですよ。

へええっ…と、不思議に思うでしょうね、健康な皆さんは。

私には、人が大勢いるところに出かけることや、誰かとコミュニケーションをとるということが、本当に苦しいことでした。スーパーに買い物に行かなくちゃ…と思うだけで、心臓がバクバクとして飛び出しそうになるのです。今になって思えば、本当にどうしてそんなふうになっていたのかと、不思議なんですけどね。

具合が悪い間は、買い物には娘のサチに一緒に行ってもらいました。誰かが一緒であれば、スーパーの中で具合が悪くなってもなんとかなると思うので、ずいぶん楽なのです。

薬の副作用がおさまり始めても、電話が鳴ったり来訪者があったりした時の心臓バクバクは良くならず、スーパーへ買い物に行くこともずっと苦しみのままでした。

テレビを見ていても、番組の出演者が口論したりストレスに耐えているような様子を見ると突然吐き気がし、悪いニュースを聞いたりしただけでもドドッーと一気に体の力が抜けて体がぐにゃぐにゃになって震えたりします。(もうっ、ほんとにねえ、何であんなことになるんだか…。)

心臓バクバクが頻発するものだから血圧が異常上昇したままで、心配したヒル先生から血圧を下げる薬まで処方されました。

薬は、抗うつ薬に加えて睡眠導入薬も飲んでいました。さらに、血圧を下げる薬も加わったわけ。これで3種類ね。

さて、抗うつ薬の副作用は3週間半程度でおさまって、気分的には楽になったのだけれどもですねえ、2月に入って新学期が始まる頃に、大問題が発生しました。

睡眠導入薬をのまなければ全く眠る事ができない体になっていることに気づいたのですよ!

飲んでいた睡眠導入薬は「ノーミソン」という「脳みそ」みたいな名前の薬で、最も怖い副作用は依存形成!ヒル先生からは、4週間までは飲み続けても良いといわれていたので、正確&律儀な私は4週間で飲むのを止めました。

そうしたらどうしたことか!眠れない!全く眠れない!

だから我慢できずに時々飲んでしまった。でも、止めなくちゃあ!と分かっている。だから、薬を戸棚の奥のほうに隠して、飲むのを我慢した。(捨ててしまわないところが悲しいでしょ…。)

そしたらですねえ、やっぱり眠れない!全く眠れない!一日の睡眠時間ゼロ!

いや、夜中にウトウト…ぐらいはしたかもしれない。しかし、本人の自覚するところでは全く眠れなかったという感じでして、この歳で徹夜などした暁には、これはもうまさにゾンビ化してしまうんですよ。

翌日、子供達が学校へ持っていくランチを作ることも困難な状態だから、カイとサチには「悪いけど、サンドイッチでも自分で作っていってちょうだい」と告げ、「とにかく寝なくちゃあ!」とベッドに横になること数時間…。でも、結局一睡もできないのです。

睡眠導入薬はまだ残っている…。
どうする?
その小さな錠剤を一粒飲めば眠れるんです。
でも、依存性が形成されてしまったと自覚しているわけだ…。
さあ、どうするどうする?

私は、3日目に誘惑に負け、薬を飲んでしまいました。(だってぇ、2日以上全く眠れないのがどんなに苦しいか、想像できます?)

戸棚の奥から取り出して飲んだ睡眠導入薬のおかげで、その時は4時間くらいだけど眠ることができました。

そして、後悔…。

ネットで「ノーミソン」のことを調べ、きっぱり止めるしか解決方法はないと心の底から理解した私。

元々、きっちりと正しいことをしなくては気がすまない人間だし、正しくないことをするとやましい気持ちに打ちのめされるような臆病者なので、自分がやばいことをしている、このままでは睡眠導入薬中毒者だ!と思うと、もうどうしようもなく恐ろしくてたまらないのでした。

(続く)


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2012年7月1日

半年も過ぎてしまった…

皆さん、お久しぶりです。
ブログを休止してから半年も過ぎてしまいました。

おそらく多くの方はもうご存知のことと思いますが、昨年は本当に我が家の経済状態はどん底でして、先進国の一般的な家庭であれば考えられない程度にまで生活は困窮しておりました。

毎日どうやって食べていくかを悩むような生活をしながら、それでも前向きに生きようと必死の努力を続けていれば、無理が重なってどこかにしわ寄せが来るものです。私は「うつ」から回復し、何年も飲み続けていた薬もやめることができて、「さあ人生の再スタートよ!」というべき時期でしたので、そういうバッドタイミングで悪いことがおき続けると、まあ大変に辛いわけです。

夫はどうしていたんだ…という疑問をお持ちでしょうからちょっとだけ話すと、会社が倒産して莫大な借金を抱えていましたが、なんとか再出発を図ろうと努力していました。しかし、昨年の中旬には再出発の望みもすっかり無くなって、毎日ベッドで寝ているような状況に…。まあ、うつ状態ということですよね、彼も。

そうなるとですねえ、責任感のカタマリのような私は無理をしまくるわけです。ティーンエイジの子供もいるんだし…。

経済的な生活苦は非常に大きなストレスです。「うつ」から回復したばかりで、そのようなストレスに押しつぶされそうになりながら無理をし続けるとどうなってしまうかというとですねえ、「うつ」が再発するのですよ、当たり前だけど。

年末には、「これはかなりやばいよ」的な精神状態でしたが、それでも「強い母親」「頼りになる妻」「いざとなると驚異的に頑張れる」はずの私は、負けるわけにはいかなかったのですねえ。

そして、ある日、ポッキリ…と、小枝が折れるように、壊れてしまいました。もう、どうにも頑張れなくなりました。涙が止まらなくなったのでした、ああ…。

直ぐに、いつも見てもらっている家庭医のヒル先生のところに行き、びぃびぃしくしくおいおい…と、泣きながら事情を話しました。(医者も大変だぁ。) そして、以前飲んでいた薬を再び処方してもらいましたが、飲む量は以前の2倍!

薬が効き始めるまでの副作用が、実は大変なんです。私は3週間半もまるでゾンビのようでした。子供達が毎日家にいる夏休みの間中、ずっと暗い「ドヨーン」とした空気を撒き散らすのがはばかられるため、ベッドで寝ている私。

夫は友人の家のリフォームが終わってからは、仕事が無くてしょっちゅう家にいる。家にいる時はたいてい寝ている。ゾンビのようになって寝ている私の横で…。

夏休みですよ、子供達にとっては!

しかし、父も母も、薄暗くした部屋で寝ているんです、毎日毎日…。

どこにも連れて行ってもらえない。食べ物を買うお金にも苦労しているんだから、映画にすら行けない。いい天気の夏休み。ずっと、自分達の部屋にこもっていたサチとカイ。かわいそうでしたが、どうしようもなかった…。

(辛い話は明日も続く)


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