2022年1月19日

忙しい一日はトラック頼み

今日の水曜日は、うちの夫はどうしても休みをもらうことになっていましたから、今日は休んでいます。しかし、家でゆっくり朝寝に昼寝というわけにはいきません。

今日は、例の腎臓提供に向けた超音波検査とX線検査があるんですよ。

X線検査は胸部です。超音波検査は内臓ですから、昨晩から絶食しています。朝ご飯を食べてはいけませんので、必然的に検査時間が早く夫の予約は8時15分です。

超音波検査が終わってから胸部のX線検査だそうです。

夫は車の運転ができませんので、病院までは私が送って行かなければいけません。

しかし、

カローラはバッテリーが上がっちゃっているから運転不可能!

ということは「やっぱりトラックで病院まで行くんですか?」とお思いでしょうか?

もちろん、

トラックで行くんですよ!

正直言うとトラックで病院になんか行きたくないですけど、入口の近くで夫を下ろすだけで良いそうなので、そのくらいは大丈夫です。

突然トラックで病院に行かなくちゃあいけないことになっていたら相当ストレスを感じていたでしょうが、昨日運転していますからね。昨日はもう、ああだこうだと言っていられない状況で、火事場の馬鹿力的に高速道路をトラックで突っ走ったわけでして。

あれはアドレナリンのなせる技だったと思いますが、昨日あんなに運転した後だと、病院くらい大丈夫な気がします。人に見られるのがちょっと恥ずかしいだけ。

検査が終わったらまたトラックで迎えに行きます。

バッテリーが上がっちゃっている私のカローラは、今朝夫を病院に連れて行った後、整備工場まで持って行くことになっています。発電機を使ってバッテリーを充電したので、整備工場までは行けるはずです。その後、歩いて家まで帰るんですよ。右膝が痛いんですけど。

おそらく発電装置のオルタネーター(Alternator)が故障していると思われるので、交換してもらうことになっています。整備工場のDさんは予約でいっぱいで忙しいのに、今日交換してくださるということでありがたいです。

他にもいろいろと予定が入っています。

うちの息子を医者に連れて行かなくてはいけません。例の2回目の痔の手術をしてもらうためには、GP(一般開業医)からのリファレンス(紹介状のようなもの)が必要なのですが、最初のリファレンスからもう2年以上が経過したので、新しいリファレンスが必要だと言われたんです。

ホントにねえ、たかが痔の手術をしてもらうのにこんなに待たなくちゃあいけないなんて。これも新型コロナのせいなんですけど。

GPのクリニックは駐車場が狭いんですよ。どうしようかなあ、近くのスーパーの駐車場で息子を下ろして、一人で行ってもらおうかなあ。

それから、

午後には、夫と私の二人は新型コロナワクチンの追加接種が予約してあります。接種会場はカラライカセンターという文化会館の隣りですから、トラックで行っても駐車には困りません。前回もトラックで行っていますし。

それにしても、こんなにいろいろ予定が入っている日にカローラが使えなくなるとはねえ。運が悪いと言うか何と言うか、本当にいろいろ不都合なことや考えられないようなアクシデントが頻発します。


トラックがあって良かったなあ!

夫が言いました。

最近、うちの息子が初心者マーク期間が終わったのでマニュアル車の運転を習えばいいのにとか、どうしてもやりたい木を切る仕事が2つあるとか言い始めたんですけど、トラックは売ると言っていたのに売りたくなくなって来たのでしょうか。

それは困りますよ。

またいつかカローラが使えなくなる時のためにトラックを持ち続けるということであれば、大反対です。

木を切る仕事(余暇のアクティビティーだから趣味みたいなもの)のためにトラックが必要というのは、自動車税と保険料の合計額をよく考えてから決めてもらいたいです。

それにね、

木を切りに行くのに、トラックを誰が運転するんですか?

さあ、忙しい一日になるぞ。


お帰りの前に1クリックを!



2022年1月18日

充電警告灯とトラック再び(2)

今朝のことです。

充電警告灯が点きっぱなしのカローラで夫を送っていくのは心配でした。

「バッテリーってねえ、警告灯が点いてからどのくらいで上がっちゃうものなの?」
「そうだなあ… ジャンプスターターは準備したの?」

ジャンプスターターというのは、携帯可能な小型バッテリーで非常時用パッテリーとしても使えます。私が持っているのはこれ。


バッテリーが上がってエンジンがかからない時に、ジャンプスターターでエンジンをかけることはできますけど、エンジンさえ動けば運転できるというわけじゃあないでしょう。

バッテリーがどのくらいで上がっちゃうか夫も分からないようでしたし、不安でしたがカローラで送って行きました。

ところが!

家を出て2キロほど行ったところで、突然ヘッドライトが消え、ダッシュボードのすべてのランプが消えて(警告灯は点いていた)真っ暗に!

バッテリーが上がっちゃった!

「よし家に引き返そう。トラックで行くぞ!」
「トラック?」

もう乗ることはないだろうと思っていたし、トラックは運転したくなかったんですけど、ああだこうだと言っている時ではありません。

早くしないと7時開店に間に合わなくなります。店の鍵を開けるのは夫ですから、他のスタッフも中に入れません。

大急ぎで家に引き返そうとしましたが、

ハンドルが重くて車が動かせない!

パワーステアリングが効かないからハンドルが超絶重いんですよ。渾身の力でUターンしました。田舎のぐにゃぐにゃ道には、至る所に小さなラウンドアバウト(円形の環状道路で接続した交差点)があって、私の腕力ではステアリングが困難でした。

ラウンドアバウトは、中心の丸い部分に乗り上げて直進しましたよ、私は。


家に帰っても、カローラを車庫に入れることが困難でしたので、ガレージ前のスペースに停めて、走って家の中に入り、トラックの鍵を取って来て、大急ぎでトラックを動かしました。

もう2ヶ月も野ざらしのままで一度も動かしていませんでしたけど、一発で始動しました。大変汚れていて、木の葉や枝が降り積もっていましたが、もうそんな事どうでもいいんです!

トラックで行くしかないんです!

高速道路を100キロで突っ走って、ツールショップには開店時間7時の10分前に到着。2人のスタッフが駐車場で待っていました。何と今朝は開店を待つお客も駐車場で待っていました。

その人達全員が私が運転するトラックに注目しているんですよ。

「皆んなが見てる!見るなよお!」
「うるさいヒロコ!そんなことはどうでもいい!」

夫は大変疲れていたんです。先々週から休み無しですからね、今朝はなかなか起きて来なかったので、家を出るのがいつもよりも少し遅かったんです。そうしたらこんなトラブルでさらに遅れてイライラしていて、大急ぎでトラックを降りて行ってしまいました。

私は、それからまた30分くらいかけて家に帰って来ました。一人でトラックを運転して。

大変疲れました。

皆さん、バッテリーランプ(充電警告灯)が点灯したら早めになんとかしないと大変なことになりますよ。


お帰りの前に1クリックを!



充電警告灯とトラック再び(1)

昨日の朝の6時前、お天気が悪くてとても暗かったんですけど、いつものようにうちの夫を勤めているツールショップに送って行っていた時のことです。

運転していたカローラのバッテリーランプ(充電警告灯)が点灯しました。

運転中にあれが点灯すると驚きますよ。

だってね、充電警告灯が点灯したということは、バッテリーの電圧が下がっているってことでしょ?

私のカローラのバッテリーには、問題があるはずないんです。先月クリスマス前に定期点検整備に出した時に、新しいバッテリーに交換してもらったんですから。

もしかして不良品だったか?

点検整備から1ヶ月近くになりますが、これまで何も問題はありませんでした。どうしてバッテリーの電圧が下がっちゃうんだろうと心配しながら高速道路に入りまして、しばらく運転していたら充電警告灯は消えました。

やれやれひと安心だと思ったら、すぐにまた点灯しまして、その後は点いたり消えたりしているうちに、点いたまま消えなくなりました。

運転中にバッテリーが上がっちゃったらどうなるんだろう?エンジンは動き続けられるの?パワーステアリングやブレーキはきくの?ライトやハザードランプは点かないわよねえ。

いやあ、どうしよう!どうしよう!

心配で心配で、エアコンも付けず、ラジオも付けずに運転して家に帰りました。

夫は、8時半頃になったら整備工場のDさんに電話してみると言っていました。私達はDさんのことは完全に信頼しているのでございます。良心的だし、大変良い仕事をする人なので、だんだんお客が増えて、近頃はいつも予約でいっぱいです。

家までは何の問題もなく帰りました。バッテリーランプ(充電警告灯)が点いてもすぐにバッテリーが上がってしまうわけではないようです。

家に帰ってすぐに調べてみましたら、充電警告灯が点いたり消えたりする時は、オルタネーターを動かすベルトかオルタネーター本体の異常が原因であると書いてありました。

オルタネーターって何?

もうホントにすみません。何十年も車に乗ってきましたけど、オルタネーターって聞いたことがなかったです。

早速、オルタネーターについて調べてみました。

オルタネーター(Alternator)とは「交流発電機」だと辞書には書いてあります。交流電流のことを英語で「Alternating Current」(略してAC)と言いますが、交流電流を作り出す発電装置なのでそういう名前が付いているそうです。

エンジンの回転する力をベルトでオルタネーターに伝えて、その力で電気を作るのです。オルタネーターが作った電気はバッテリーに蓄えられ、エンジンをかける時や運転中に使われるわけです。

バッテリーランプ(充電警告灯)が点灯しっぱなしというのは、オルタネーター本体が故障している可能性が大きいそうです。

私は知ったかぶりをして夫にテキストメッセージを送りました。

「新しく付けたばかりのバッテリーじゃあなくて、オルタネーターが故障しているんじゃあないの?」
「そうか!そのとおりだな!これからDさんに電話してみる!」

緊急事態ということで、明日の水曜日にオルタネーターの交換をしてもらえることになりました。

そして、その翌日。

無知と判断の甘さでとんでもない事件に!

(つづく)


お帰りの前に1クリックを!



2022年1月17日

ファミリーツリーとは

義母(うちの夫の母親)の家族の歴史は、義母の妹の旦那さんが家系を調べることが趣味で、自分の家系だけでなく妻の家系も調べたおかげでいろいろと分かっています。

義母の結婚前の姓は「リヴィングストン」と言うのですが、「リヴィングストン」という姓を持つ人々のルーツはスコットランドにあるそうです。綴りが微妙に違うことがありますが、ルーツは同じスコットランドのリヴィングストン一族なんだそうです。

義母の妹の旦那さんが見つけた最も古い記録は、1270年に生まれたアーチボールド・ド・リヴィングストンという人なんですけど、1270年って日本では鎌倉時代ですよ。

この人の子供、孫、ひ孫、と家系を図にしていくと次々に枝分かれして大きな木のようになりますよね。それで、英語圏では家系図のことを「ファミリーツリー」と呼びます。

鎌倉時代のアーチボールド・ド・リヴィングストンから何代目になるのか分かりませんが、スコットランドの西の方にあるマル島で1725年に生まれたジョン・リヴィングストンという人がいました。1725年というのは、徳川吉宗が将軍だった亨保時代です。

このジョン・リヴィングストンの四男がナイル・リヴィングストンという人で、この人あたりから詳しい記録が残っています。誕生日や生まれた場所、結婚した相手や住んでいた家の住所、死んだ日や場所まで。

おそらく教会に残っている記録のおかげでしょう。

ナイル・リヴィングストンの次男がジョン・リヴィングストンという人で、この次男のジョンには、ジェイムズという息子がいました。

ジェイムズは、1795年にスコットランドのエジンバラの近くで生まれています。

エリザベスという女性と結婚し、6人の息子を連れてオーストラリアに移民したのが1834年のことでした。徳川家斉の天保時代です。

おそらく何かやむを得ない理由があったと思われるのは、移民船「ザ・パーマー」に乗った時、エリザベスは妊娠7ヶ月だったからです。

9月9日にエジンバラのリース港を出て、タスマニアのホバートに着いたのは、翌年1835年の1月27日でした。4ヶ月半もかかっているんですよ。4ヶ月半も6人の息子を連れた船での暮らし、しかも妊娠していて、乗船して1ヶ月くらいで赤ちゃんが生まれているんです。

移民船の衛生状態は決して良いものではなかったはずですし、赤ちゃんのおむつの洗濯とか、どうやっていたんでしょうか。移民船での4ヶ月半は大変だったことでしょう。

7人目の息子は10月10日に船上で生まれ、フランシス船長の名前と船の名前をとって、フランシス・パーマー・リヴィングストンと名付けられました。

うちの夫は、このフランシス・パーマーの子孫なんです。

フランシス・パーマーは2回結婚しました。最初の結婚で生まれた次男ジョージ・リヴィングストンには11人も子供がいたらしいですが、三男がダンカンです。ダンカンが、うちの夫の曽祖父です。

ダンカンと結婚したサディーとの間には4男3女が生まれました。三男のセオがうちの夫の祖父です。セオには4人の娘が生まれましたが息子が生まれなかったので、リヴィングストンの姓は途絶えることになりました。

しかし、途絶えたのは大きなファミリーツリーのセオの枝だけ。セオの兄弟の枝からは、さらにリヴィングストンが続いています。


それにしても、調べれば誰でもこういうファミリーツリー(家系図)を作れるだけの様々な記録が残っているというのは、うらやましいことです。

英国で定期的な国勢調査が行なわれるようになったのは1801年からだそうですが、国勢調査のようなものはそれまでにも行なわれていましたし、遥か昔から教会は教区の人々の洗礼、結婚、葬式の記録を残しています。

オーストラリアへ移民した人々の場合は、移民船の乗船者リストが残されていますし、英国の植民地として始まったオーストラリアでも英国と同様の国勢調査が行なわれましたから、ごく普通の一般人でもファミリーツリーを作れるだけの様々な記録が保存されていて、こうした記録をデータベース化している各種サービスが使用料を払えば利用できます。

有名人の家族の歴史をさかのぼってルーツを調べてくれるTV番組シリーズ「Who Do You Think You Are」というのがありますが、大変興味深いですよ。

オーストラリアは囚人を送り込むための植民地でもあったので、先祖が囚人だったという話はよく聞きます。人々が貧しくて食べ物にも困っていた時代、パン一切れを盗んだという理由でもオーストラリアへ送られました。

オーストラリアでは、囚人の祖先がいても恥とは受け取られません。むしろ自慢話になるくらいで、好意的に受け取られます。

義母のファミリーツリーの中には囚人はいなかったようですが、アルコール中毒で死んだ人はいました。曽祖父ダンカンの家族あたりからの逸話は、いろいろと伝えられています。

オーストラリアに移民したジェイムスとエリザベス夫婦の暮らしは、決して楽ではなかったでしょうが逞しく生きたようです。ジェイムスは、タスマニアで大工として働きました。

曽祖父のダンカンは農夫でした。ヴィクトリア州北部で土地を手に入れて農地を開拓したそうですが、夏は灼熱となる土地ですし、7人も子供がいて、どのような暮らしだったのでしょう。苦労が忍ばれます。

祖父のセオは、蒸気機関車の火室に石炭を投炭する仕事をしていましたが、その後運転士となりました。4人の娘を抱えた生活は楽ではなかったそうで、義母は折に触れて家族がどんなに貧しくて生活が大変だったかを話してくれます。

6人家族で小さなローストチキンを分け合ったこと、ベーコンを焼いて出た脂は決して無駄にせず保存して料理に使っていたこと、いかにして冬の寒さを耐え忍んだか、娘4人がどのようにして一つの部屋を共有していたかなど。貧しくても団結して愛情に溢れた家族だったようですけどね。娘達はしっかりとした教育を受けて、それぞれキャリアを築きました。

4人の娘達の父親への愛情が強いことからは、セオの人柄が分かります。一番年長の孫と結婚した日本人の私にも大変親切な人でした。

義母の家には、こうした先祖の人達の古い写真が飾ってあります。まだ幼児だったセオの横でフェンスを建てているダンカンの写真とかもあるんですよ。

ファミリーツリーを見ながら、家族の歴史が映画のように見えて来ます。

うらやましいです。


お帰りの前に1クリックを!



2022年1月16日

読めないレシピと家族の歴史

私が趣味でやっているレシピサイトに載せている料理の中には、私が母から教わった料理がいくつもありますが、そういう料理には文字にして書かれた「レシピ」というものが無いのでして、お料理を手伝ったりしているうちに学んだわけです。

味噌汁にしても、酢の物にしても、煮物にしても、大体これくらい入れてこんな色になってこういう味という料理です。

ですからね、20年ほど前に「日本語を教えている学校の教室で作れる料理を紹介する本」を出版するためにそうした料理のレシピを書いた時には、少々苦労しました。いちいち計量スプーンで計ったりなどしないで作る料理のレシピを書くんですからね、水の量も調味料の量も全部計って、いつもの味にするにはどれだけ入れたらいいのかというのを、まるで理科の実験をするようにして調べたものです。

頭の中にあるレシピというのを次の世代に伝えるには、一緒に料理をしないと教えられませんから、いずれは失われてしまいますが、ちゃんと紙に書き残してあれば話は違ってきます。

お菓子やケーキ作りには計量が欠かせないので、材料と分量そして作り方を書いた「レシピ」というものが書かれることが多かったと思われます。何百年も前に書かれたレシピが残っていることも珍しいことではありません。

オーストラリアは移民の国で、最初は大英帝国からの移民が中心でした。お菓子やケーキ作りの長い歴史がある国からやって来た人達は、そうした「レシピ」を自分で書き留めたり、誰かにもらったレシピや新聞や雑誌などで見つけたレシピを切り取って貼り付けたりして、「レシピブック」というノートを作っていました。

そうした「レシピブック」は、持ち主が亡くなると家族の誰かが譲り受けることが多いです。お料理が得意だった人の「レシピブック」は、もらいたいと思う人も多いでしょうね。

こういう習慣は、日本ではあまり聞きません。

義母(夫の母親)の家に伝わるレシピは、義母の一番上の姉ジョーンが譲り受けていました。そして、ジョーンは自分のおばさん達からもレシピをもらったりして、自分の「レシピブック」を作っていたんです。

毎年家族が集まるクリスマスには、家に代々伝わる「クリスマスプティング」というデザートを作って来るジョーンですが、あれが作れるのはレシピを持っているジョーンだけだと聞きまして、私はそのレシピを次の世代に残すために私のレシピサイトに載せたいと思ったんです。

ジョーンは他にもいろいろ古いレシピを持っていると言うので、先日ジョーンの家にお邪魔してレシピをコピーさせてもらって来ました。レシピの写真を撮って来たと言った方が正しいですが。

ところがですね、

レシピの読解が簡単ではないんですよ!

ジョーンの手書きは読みにくいというのは家族内では有名な話なんですが、若い頃に書いたレシピも、中には10代の頃に書いたものもあるんですけど、やっぱり読みにくいんです。

例えばこれ。

ジョーンの伯母さん(うちの夫の祖父の妹)にあたるローナのチーズケーキのレシピなんですが、皆さん、読めますか?


1行目「Line two sponge tins」(2つのスポンジ型にベーキングペーパーを敷く)というところの後でもうお手上げでした。

最終的には読めたんですよ。

1行目のその後は「biscuit pastry + pre cook」(ビスケット生地を敷き詰めて焼いておく)と書いてあるんです。

このレシピは、ジョーンが10代の頃に書いたものらしくて、まだ整った筆記体で読みやすい方です。最近の手書きは「ミミズが這ったような」という表現が的確な感じでして、うちの夫の助けがないと私には読めません。

「読めない、読めない」と苦情を言う私のために、ジョーンはおすすめレシピのいくつかを筆記体ではなくて読みやすい活字体で書き直して送ってくれました。

わざわざ活字体で書き直してくれたレシピは、こんな感じです。


私は活字体で書き直してくれたレシピにも苦労しています。


古いレシピは、クリスマスなどの特別なイベントや大家族のために作ったであろうケーキやデザートなので量が多いです。私が作るには、レシピの量の半分か四分の一くらいで作る必要があります。

また、今では手に入らない材料が出てきたりします。「缶詰のぶどう」なんていうのが必要だったりするのです。

単位がヤード・ポンド法ですしね、いちいち計算してグラムとかリットルに換算しなくてはいけません。

ジョーンの「レシピブック」には、うちの夫の曽祖父ダンカンの妹のパイのレシピというのもありました。100年くらい前のものです。

曽祖父ダンカンの娘の一人(うちの夫の祖父の姉)ベティはパプを経営していた人なので、パブでお客に出していたと思われるホットフルーツサラダのレシピなんていうのもありました。ブランデーを1カップも入れるんですよ。

どのレシピも当時の暮らしを想像させてくれるもので、大変興味深いです。

私の日本側の家族にも、こういう「レシピブック」のようなものが伝わっていたら面白かっただろうになあと思います。


お帰りの前に1クリックを!