一時期、私達家族が日本に住んでいた時には、うちの夫の仕事の関係でこの叔父さんにはお世話になったんです。叔父さんがロータリークラブの会員で、うちの夫も当時はオーストラリアでロータリークラブの会員だったので、一緒に会合に参加したりもしました。
うちの息子も娘も、私の母の兄弟姉妹のことは何も知りません。昨晩、我が家に立ち寄っていた娘と息子に、うちの夫が亡くなった叔父さんのことを話しているのが聞こえました。
とてもいい人だったと話していました。そして、私の母の家族は皆んなが温かく良い人達だったと話すのを聞いて、本当にそうだったなあと思ったんです。
私の母は3男3女の6人兄弟姉妹の上から3番目です。一時は従兄弟2人も一緒に暮らしていた時期があるそうで、大きな家族でした。実家は、岡山県北西部の山の中の不便な場所にあります。
母の父親は郵便局員でしたが、私が中学1年の時に亡くなりました。6人兄弟姉妹の長男である伯父さんも郵便局員になり、実家はその伯父さんが継ぎました。この家に、毎年お盆の頃には家族親戚一同が大集合したのですよ。
広島や大阪といった遠方からも来ましたので大人数でした。家中のあらゆる部屋に布団を敷いて寝たのを覚えています。
子供達は川や広い河原で一日中遊びました。大人達は何をしていたんでしょうね。人数が人数ですから、食べることの準備や片づけでしょう。晩ご飯は外で焼き肉をしたり、竹林から切って来た竹を使って流し素麺をしたこともありますよ。
私達家族の家は、この実家からそれほど遠くなかったですし、長男の伯父さん家族と一緒に祖母が住んでいましたので、お盆やお正月以外にも訪れる機会がありました。
昨日は、一番下の叔父さんが亡くなったという知らせを聞いた後で、この家での出来事をいろいろ思い出したんですが、母の実家でのことは良い思い出しかないんです。
田舎の古い家でした。広い土間があって、お便所やお風呂は家の中にはないんです。離れたところにあるんです。蔵には古い木製の農機具とか、興味深いものがたくさんありました。家の周囲は野菜畑でした。林の中では椎茸を栽培していました。家の裏には栗や柚子の木がありました。家の下の蔵では味噌や漬け物を作っていました。
私が子供の頃には、台所も古い映画に出てくるような昔ながらの台所で、かまどがあったり山から湧き水を引いてきたのが貯めてあったりしましたよ。暮らしやすいようにリフォームする前は、博物館に展示されているような家だったんです。
この家に、大阪や広島からも親戚が集まって来るのですよ。それはやはりね、この家に集まって過ごす時間が楽しかったからではないでしょうか。
私の母を含め、6人兄弟姉妹のうちの3人は90歳を超えています。高齢のため田舎で暮らしていけなくなった長男の伯父さんは息子家族と同居することになり、実家にはもう住んでいません。
実家に集まることが無くなったので、6人兄弟姉妹が顔を合わせることも無くなったわけですが、今年私の父が亡くなった時に久しぶりに全員が顔を揃えたそうです。その時、こういう機会は滅多に無いからと写真を撮ってもらったそうなんです。
その写真を母がLINEで送ってくれました。
そっくりな顔の6人兄弟姉妹が微笑んでいる素晴らしい写真でした。
実家には、現在は伯父さんの孫娘にあたる人が一人で住んでいるそうですが、伯父さんは時々様子を見に帰っているそうです。先日撮ったという写真も送ってくれました。
この美しい写真を見て、この家での楽しかった出来事を次々と思い出しましたよ。子供達も楽しかったけど、大人達もとても楽しんでいたように思います。飲んで食べておしゃべりをしてね。
叔父さんが亡くなったというのは悲しいニュースでしたけど、私は思い出のおかげでとても温かく幸せな気持ちになりました。それはとても特別なことです。
うちの夫が言うように、母の家族は皆んな温かく明るく楽しい人達だったんですよ。兄弟姉妹は5人になり、皆んな高齢ですが、今もお互いを思いやる絆で結ばれています。素晴らしいなあと思います。
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