ラベル マケドニア人の友達 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル マケドニア人の友達 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年10月3日

ホーリーウォーター(聖なる水)

先日ブログに書いたマケドニア人の友人ヴィクターとジョイスの家に行くと、まず小さなグラスに「ホーリーウォーター(聖なる水)」をすすめられる。これは、日本で来客があったらまずお茶をすすめるのと全く同じ感覚で出される。マケドニアの習慣であるらしい。しかし、この「ホーリーウォーター」は、イタリアではグラッパと称される火酒であって、決してただの水ではない。ヴィクターとジョイスが「ホーリーウォーター」と呼んでいるだけだ。調べてみると、南スラブ地方において国民的飲み物とも言えるラキアというの蒸留酒の一つと思われるが、二人はこれをラキアとは呼ばない。



この「水」は、ほとんど純粋に近いアルコールで、飲めば口から火が出るシロモノ。私の夫のスティーブは、ちょっと舐めてみて「うっへー!」と叫んで、もう一度舐めてみてから丁重にこのもてなしを辞退し、もったいないから私が頂くこととなった。私は、日頃ウイスキーとかブランデーとかウォッカといった強いお酒をストレートで飲むのが好みなので、このマケドニアのホーリーウォーターは、実は好物なのだ。

ここに書いてしまうことでトラブルになるのが心配なのだが、ヴィクターとジョイスは、この「水」を自宅のガレージで手作りしていた。知り合いの農家から仕入れてきたワイン用のぶどう(搾りかすも含めて)をガレージ内で発酵させ、自家用蒸留機器を駆使して、こっそりと火酒を仕込んでいる老夫婦。ところが、こっそりと誰にも知られず…という訳にはいかない。なにしろ、この火酒製造はかなり強烈な臭いを発生させるのである。ぶどうが腐った臭いというよりも、それは酒の臭いである。ガレージの裏からは、隣家の我が家の方へ向かって薄いもやのようなものがその臭いとともに漂って来ていたものだ。

二人は、住んでいた大きな家を売って小さな賃貸ユニットに引っ越し、間もなくしてマケドニア旅行に旅立った。二人にとって懐かしい祖国への旅は、これが最後になると思われた。長い旅行からオーストラリアに帰ってくると、気に入った新築の家が見つかるまでの期間その賃貸ユニットに住んでいたために、この「水」作りが困難となった。二人は「水」無しでは生きていけないのだ。

メルボルンは、ギリシャ移民とともにイタリア移民が大変多い。イタリアから移民して来た人々の中には、グラッパなしではやって行けないという人が結構多いらしい。グラッパ、すなわちヴィクターとジョイスの「水」と同じ飲み物である。輸入グラッパは酒店で買うことができるが、目玉が飛び出るほど高い。毎日飲みたい向きには高価すぎるのであるから、そうした人たちはどうするかというと、自宅のガレージで手作りするのだ。

かなり広い敷地を持った人や農場を持った人などは、自家消費分以上にたくさん作って売るのだそうだ。もちろんほとんどは無許可でやっているので、家族友人知人あるいは所属するイタリアクラブなどを介して口コミで知って問い合わせて来た人たちに、こっそり売るのだそうな。

ヴィクターとジョイスは、イタリア人を信用していない。ブドウに腐った梨やら果物やら何を混ぜているかわからない!と言う。味見させるときだけ美味しいのを飲ませて、他の瓶には水を混ぜるかもしれない!と言う。他人が作った「水」を金を出して買うのなら、信用できるマケドニア人から、本当に良い品質の「水」を買いたいと言う。このあたりは非常に頑固であるし、信用できるのは同郷の友しかないのである。

ヴィクターとジョイスは、マケドニアクラブのメンバーなので、クラブの知人から紹介してもらった幾人かのこっそり売ってくれるという人達の「水」を試飲して、ついに満足できる「水」を作る本当に信用できるマケドニア人を見つけ出した。車で1時間もかかるところに住んでいるその人の家まで二人で定期的に足を運び、売ってもらうのだ。私も飲ませてもらったが、ヴィクターが手作りしていた「水」以上の美味しさだった。

ところが、今年に入って「その人」がいなくなった。連絡も取れない。「こっそり」が見つかったのに違いない!と二人は言う。しかし、「その人」の代わりの人が見つからない。信用できて質の良い美味しい「水」を作る人が。だから、もうずいぶん長いことヴィクターとジョイスは「水」を飲んでいないと言う。秋になったら、引っ越した新築の家のガレージでまた自分で作ると言うヴィクター。しかし、ブドウが収穫できる秋は、まだ半年も先である。

二人の家のキッチンのベンチの上には、ウォッカの空瓶が1本、寂しくほこりをかぶっていた。


お帰りの前に1クリックを!



2011年9月21日

カコスィ?ドブロドブロ!

私にはマケドニア人の友人がいる。以前住んでいた家の隣の家に住んでいた老夫婦だ。夫のヴィクターは87歳、妻のジョイスは80歳。息子が4人いるが誰の家族とも同居せず、今も二人で暮らしている。年をとってきて掃除や庭の管理が大変すぎると言って住んでいた大きな家を売り、昨年小さめな新築の家を買って引っ越した。

お隣同士だった頃は、 晩ご飯のお裾分けをしたりしてもらったり、オーストラリアに家族がいない私には、まるで実家に戻るような気分で気軽に行ける家だった。 行けば必ず何か食べさせもらい、帰りには(といっても隣の家に帰るのだが)庭でとれた野菜(主に二人がチリと呼んできる巨大なシシトウのような辛いピーマン)や自家製オリーブや漬け物や焼きたてパンやお菓子などをお土産にもらって帰るのだった。

二人は、家ではマケドニア語で会話しているので、私もそれを聞いているうちに自然とマケドニア語を覚えていくことになった。
カコスィ?(元気?) ドブロドブロ!(元気元気!)
ブラゴーダラム(ありがとう)
ナズラビエン(かんぱーい)
ドグレダニェ(さよなら)

マケドニア語にしてもマケドニア語とほとんどそっくりだというブルガリア語にしても、スラブ系言語の音というのは、私の耳にはドロドロズロズロと聞こえて真似るのが難しい。ところが面白いことに、私が子供たちと日本語で会話しているのをしょっちゅう聞いていたジョイスは、耳が良いのか次々と日本語の単語を話してみせた。「ああ、この歳になって日本語を習うとは思わなかった」とうれしそうに私たちの日本語を真似していた。ジョイスは、マケドニア語、英語、ギリシャ語の3カ国語が話せる。ヴィクターもそうだと思うが、決してギリシャ語は話さない。憎んでいるからだ。

二人はマケドニア出身のマケドニア人であると 口を酸っぱくして言う。幼い頃に村はギリシャ人に占領され、ギリシャ語を強要されてマケドニア語を使うことを禁じられた。現在でも、二人が生まれ育った村はギリシャの領土である。貧しい村での生活はギリシャによる占領後、さらに苦難に満ちたものとなった。特にヴィクターは、よほど苦しい経験をしたと見えて、今でもギリシャへの強い憎しみを抱いているのだ。

ヴィクターは、最近90が近くなりちょっとぼけてきたと自分でよく言うのだが、昨年交通事故を起こしてしまった。車が壊れて乗れなくなった。家を買ったので新しい車を買うお金はないと言い、何ヶ月も車の無い生活を送ったら増々健康になった。というのは、日々の買い物からちょっとしたお出かけまで、バスを使うか歩くしか方法がなかったからだ。バスを使うにしても、家からバス停までは歩かなければならないし、バスを降りてから目的地まで歩かなければならないわけだから、特に買い物担当だったヴィクターはとにかく歩いた。買い物袋を手にして。すると、余分な脂肪が落ちて体が締まり、食欲が出てよく食べるし、以前に増して体が健康になったのだという。実際、ヴィクターは、とても90歳近いおじいさんには見えない。


ジョイスは、本当の名前をジバンカという。英語でJoyという意味だそうだ。お腹の調子がずっと悪く、心配でたまらないので医者に通い続けたが悪い所は見つからず、お腹の調子を悪くすると自分が思う食べ物を避けて健康な食生活を心がけたところ、こちらもまた余分な脂肪が落ちて体が軽くなり、とても健康そうになった。


いつまでも元気でいてほしい、私の大切な友達だ。


お帰りの前に1クリックを!