私にはマケドニア人の友人がいる。以前住んでいた家の隣の家に住んでいた老夫婦だ。夫のヴィクターは87歳、妻のジョイスは80歳。息子が4人いるが誰の家族とも同居せず、今も二人で暮らしている。年をとってきて掃除や庭の管理が大変すぎると言って住んでいた大きな家を売り、昨年小さめな新築の家を買って引っ越した。
お隣同士だった頃は、 晩ご飯のお裾分けをしたりしてもらったり、オーストラリアに家族がいない私には、まるで実家に戻るような気分で気軽に行ける家だった。 行けば必ず何か食べさせもらい、帰りには(といっても隣の家に帰るのだが)庭でとれた野菜(主に二人がチリと呼んできる巨大なシシトウのような辛いピーマン)や自家製オリーブや漬け物や焼きたてパンやお菓子などをお土産にもらって帰るのだった。
二人は、家ではマケドニア語で会話しているので、私もそれを聞いているうちに自然とマケドニア語を覚えていくことになった。
カコスィ?(元気?) ドブロドブロ!(元気元気!)
ブラゴーダラム(ありがとう)
ナズラビエン(かんぱーい)
ドグレダニェ(さよなら)
マケドニア語にしてもマケドニア語とほとんどそっくりだというブルガリア語にしても、スラブ系言語の音というのは、私の耳にはドロドロズロズロと聞こえて真似るのが難しい。ところが面白いことに、私が子供たちと日本語で会話しているのをしょっちゅう聞いていたジョイスは、耳が良いのか次々と日本語の単語を話してみせた。「ああ、この歳になって日本語を習うとは思わなかった」とうれしそうに私たちの日本語を真似していた。ジョイスは、マケドニア語、英語、ギリシャ語の3カ国語が話せる。ヴィクターもそうだと思うが、決してギリシャ語は話さない。憎んでいるからだ。
二人はマケドニア出身のマケドニア人であると 口を酸っぱくして言う。幼い頃に村はギリシャ人に占領され、ギリシャ語を強要されてマケドニア語を使うことを禁じられた。現在でも、二人が生まれ育った村はギリシャの領土である。貧しい村での生活はギリシャによる占領後、さらに苦難に満ちたものとなった。特にヴィクターは、よほど苦しい経験をしたと見えて、今でもギリシャへの強い憎しみを抱いているのだ。
ヴィクターは、最近90が近くなりちょっとぼけてきたと自分でよく言うのだが、昨年交通事故を起こしてしまった。車が壊れて乗れなくなった。家を買ったので新しい車を買うお金はないと言い、何ヶ月も車の無い生活を送ったら増々健康になった。というのは、日々の買い物からちょっとしたお出かけまで、バスを使うか歩くしか方法がなかったからだ。バスを使うにしても、家からバス停までは歩かなければならないし、バスを降りてから目的地まで歩かなければならないわけだから、特に買い物担当だったヴィクターはとにかく歩いた。買い物袋を手にして。すると、余分な脂肪が落ちて体が締まり、食欲が出てよく食べるし、以前に増して体が健康になったのだという。実際、ヴィクターは、とても90歳近いおじいさんには見えない。
ジョイスは、本当の名前をジバンカという。英語でJoyという意味だそうだ。お腹の調子がずっと悪く、心配でたまらないので医者に通い続けたが悪い所は見つからず、お腹の調子を悪くすると自分が思う食べ物を避けて健康な食生活を心がけたところ、こちらもまた余分な脂肪が落ちて体が軽くなり、とても健康そうになった。
いつまでも元気でいてほしい、私の大切な友達だ。
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