いよいよ今日は大晦日である。
おせち料理作りやお雑煮の準備など、食に関する日本の習慣はとっくの昔にあきらめた。何しろ、真夏のオーストラリアでは、そうした料理は美味しく感じられないのだ。
オーストラリアに来て最初の数年は、それでも手に入りにくい食材に苦労しながらも努力した。子供達のためにと思って...。
しかし、気温が40度近くになるような猛暑の正月が何度も続いてすっかりあきらめてしまった。無駄な努力だと感じてしまったからだった。
年末の料理に関する日本の習慣は忘れても(今でも作ろうと思えば作れますが)、「大掃除」という習慣は忘れがたい。
家の中をさっぱりときれいに片付け、掃除をして、新年を迎えたいと思うのだ。
ところが、これが簡単なことではない!
四人家族の我が家には、三人の片付けられない人達がいるが、中でも筋金入りの「片付けられない人」というのが夫である。
結婚する前の1年を入れて、丸々19年間一緒に住んでいるが、この人の片付け能力の欠如具合は皆さんの想像の域を超えている。片付けられる私にとっては、もう理解不能というか、ただ「怠惰のカタマリ」に見える。
片付けの基本は、「すべての物に住む場所を決める」であるが、この基本が夫には通用しない。なぜならば、その「住む場所」というのをすぐに忘れてしまうからだ。
TVドラマ「Big Bang Theory」のシェルドン・クーパーに勝るとも劣らないほどの高知能指数を有しているにもかかわらず、なぜ彼はすぐに忘れてしまうのか?
さらに、わずか数秒で終わるはずの「開けたら閉める」「出したら戻す」「使ったらしまう」を怠るがために、家の中はすぐにごミ屋敷状態となるのだ。
ゴミ屋敷状態となってしまったら、必要とするものが見つかりにくくなる。ただでも「物の住む場所」を忘れてしまいがち夫は、ホッチキスなりボールペンなりペーパークリップなり、必要とするものが見つけられない。
そのような場合、忍耐強く見つかるまで探すということはしない。大した値段でもないのだからと彼は新しいものを買うのである。
これを繰り返し続けるので、我が家には大量の文具&オフィス用品が存在する。
彼が片付けられないのは、もちろんオフィスだけではない。寝室も玄関もバスルームも、彼が使用するすべての部屋で物が散らかり続ける。
それを私が片付けてあげていたのは遠い昔のこと。ウンザリも怒りも通り越して「あきらめの境地」なのです。
引っ越して来たこの小さな家には、夫と私がそれぞれ別々にオフィスを持つということはできないので、居間のスペースの一部に夫と私のデスクが並んでいるが、半分は機能的に整理整頓されて必要なものがすぐに見つかる私スペース。コンピューターの中も同様に、どんなファイルもすぐに見つかるように整理されている。そして、もう半分がごミ屋敷。コンピューターの中も同様。だから、頭の良い夫はいつも何かを探して時間を無駄にしている。
引っ越してきたのは11月。夫の持ち物はいまだに片付いていない。玄関の外にも、夫の物があふれている。
さて、一昨日のことだが、私、頑張りました。子供達の部屋と夫のデスク以外の大片付けと大掃除を決行!すっきりと片付いたきれいな玄関、キッチン、居間、バスルーム、ランドリー。
「気持ちいい!」
久しぶりに清々しい気持ちでおりましたのですけど、見てごらんなさい!
玄関には、何度頼んでも脱いだままにする夫の靴が2足ころがり、仕事関連の機械や道具も所狭しと置かれたままだ。居間のコーヒーテーブルの上にはDVDや夫が最近練習しているムチが出しっぱなし!ベッドの周りには、脱いだままの服やソックスがころがっている。キッチンには、先日買ってきて夢中になっているTORMEK社の水研磨機が出しっぱなしで、親戚友人達から「僕が研いであげるよ」と、次々に集めてくる刃物がいっぱいころがっている。
家の周りに茂りすぎた木や植物を次々に切ってくれるのはいいけれど、切った後がそのままで見苦しい。片付けないのなら切るな!
年末の大掃除からわずか2日。大晦日の今日、我が家はすでに家の中も外も大散らかりなのであります。
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お気の毒です。笑
返信削除いやいや、あきらめたのなら良かった。あきらめているという事は喧嘩にならないので、トラブルもない。
悟りの心境を新年一発目のブログで読ませていただきました
ウォンバットさん、新年早々コメントありがとうございます。悟りの境地というのも、なかなか大変ですよ。ゴミ屋敷を見て見ぬふりをして(だってやっぱり気になるもの!)、そして心の中で「気にしない!気にしない!」と自分を励ますわけです。
削除今はですねえ、ベッドの横にたまってゆく脱ぎ捨てた服や汚れたソックスが、いったい何日間そこに置かれたままになるか、どこまで増えてゆくか、新記録樹立を期待して毎日見ているところです。
これこそ悟りの心境?