当時、小学校で外国語の指導に取り組んでいるところは少なかった。必須となったからには、どの小学校でも、まずどの外国語を教えるかを決めなければならなかった。そして、その担当の教員確保に大変な苦労をすることになった。
多くの小学校では、外国語専門の教員を雇えず(または見つけられず)、普通のクラス担任の中から外国語担当者を選抜し、その先生が付け焼刃で大学や専門学校の短期コースで学習したあと、「あやしい発音」と「わずかな知識」で教えるしかない状態だった。
特に、当時オーストラリアとの貿易関係上非常に有益と考えられた「日本語」を自分達の学校で指導する外国語に決めたヴィクトリア州の小学校では、大変な苦労があったようだ。
ヴィクトリア州は本来日本人人口が少ないし、特に田舎のほうでは日本人はおろか日本語が少しでも分かるという人などまずいなかった。そこで、どうしたかというと、日本のインターンシッププログラム等に申し込み、日本人に来てもらって、担当教員とともに日本語プログラムを手探り状態で作って行こうとしたのだ。
私は、そういったインターンプログラムでオーストラリアにやって来て、日本語教師の仕事を探していた。そして、ある小学校の「日本語の先生が欲しい」という需要と私の「日本語の先生として就職したい」という供給が一致し、数ヶ月に渡る苦労の末に永住ビザを取得して、日本語の担当教員としてビクトリア州教育省に雇われたのだった。
さて、実際に教え始めたのはいいが、とにかく教材が何もなかった。教科書のようなものはもちろん、指導書もフラッシュカードやポスターのような補助教材も、小学校向けのものは、なーんにもなかった。その小学校になかったというのではない。売られていなかったのだ。
だから、すべて自分で作った。生徒達が授業で使うワークシート(プリント類)、フラッシュカード、ひらがなのポスター、指導内容に合わせたポスターやチャート類から割り箸人形や歌のカセットテープまで。
でも、私は日本人で日本語が分かるのだから、こうした教材の自作は苦労というほどのことではなかった。日本で小学校の教員だったので、教えることにも慣れていたし...。
大変なのは、日本語などろくに分からないのに日本語を教えなくてはならないクラス担任兼任の先生達。近隣の小学校のほとんどは、そういう状況だった。
外国語担当教員など見つからず、クラス担任兼任の先生達が四苦八苦しながら日々格闘していた。だから、日本人の専任教員がいるという話はたちどころに広がって、私の勤めていた小学校には、次々に授業参観の申し込みが!
さらに、「ネットワークミーティング」なる活動が始まり、定期的に地域の日本語担当教員が集まって授業のアイデアや教材を共有した。
共有するというよりも、実質的には、私が指導のアイデアを紹介し、日本語のレッスンも行い、私が作ったワークシートのコピーを皆さんに差し上げる、というようなものだった。
私は、喜んでこの活動に参加していたが、たびたび自作教材をコピーしたり授業のアイデアをまとめたりするのが時間的に負担になってきて、ある時そうしたものをひとまとめの冊子にして、希望の先生達にお分けした。
これが好評であったので、今度はプラスチックのコームで本のようにしたものを50部作って、材料費としていくらかの代金を頂いて希望の先生達にお分けした。50部なんてあっという間になくなった。これが口コミで広がって、さらに50部作ったがすぐに売り切れた。
ある日、私の授業参観に来られた先生が、私が教室に貼っていた自作のポスターが欲しいとおっしゃった。代金を払うから作って欲しいと...。
こうして、私の教材制作の副業が始まり、その後、当時失業状態だった夫とKYOZAIという会社を設立して、本格的に日本語教材の出版と販売を行うようになったというわけだ。
授業のアイデアやフラッシュカードやワークシートなどをまとめた本のほうは、「Idea Book」というシリーズで5冊出版することになった。授業で料理をするための本も出版した。ポスターやチャート、ごほうびシールなども沢山作って販売した。
教材販売の仕事は、夫が木工機械や工具を販売する会社を作った時にやめてしまい、私たちが出版した本も教材もすべて売り切れて何も残っていないのだが、やめてからもう何年にもなるというのに、私のところにはいまだに問い合わせが来る。
時々、テレビで政治家が小学校を訪れたとか小学校の先生や生徒にインタビューをするという状況などで小学校の教室の中が映されることがあるが、今まで何度も私が作ったポスターが貼られているのを見たことがある。
そういう時は、もう本当に感激する。問い合わせのメールや手紙が届いたりすると、本当にうれしい。今でも私が作った教材が誰かの役に立っているなんて...。
特に「Idea Book」シリーズの本は、問い合わせが続いたので、4年ほど前に私が手元に持っていた自分用のものをスキャンして、PDF版として希望の方に販売している。
もう少し詳しいことが分かるウェブサイトがあります。
印刷会社がオリジナルのハードコピーもデータもなくしてしまい、もう作れない「ごほうびシール」は、自分でイラストを描きました。こんなのだったんですよ。
それにしても、無責任な田舎の小さな印刷屋!
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