2024年6月5日

絶対に一緒に暮らせない人

今日の話題については書くつもりはなかったんですけど、いろいろ不愉快なことがあったので書くことにしました。このブログは、私が愚痴をこぼす場所でもありますのでね。

義母(うちの夫の母親)のことなんですよ。

先日の「取り壊された家と壊れた心」という記事にも書きました通り、私達家族は20年くらい前までは義母の家の敷地内にある小さな古い家をリフォームして住んでいました。

言っておきますけど、家の所有者である義母に家賃を払って住んでいたんですよ。

リフォームした家は気に入っていました。日本式のお風呂場も作りましたし、子供を育てるには環境的にも良い場所でした。

それなのに、どうしてその家から引っ越したかと言うと、最大の理由は義母だったんです。とにかく義母からのストレスがひどかったんですよ。

義母にとって、私達が家賃を払って住んでいた家は自分が所有する家ですから「自分の物」という認識でしたし、息子の家族は自分の家族というわけで、とにかく毎日やって来るのですよ。

リフォームや増築の工事をしていた頃は、もちろん作業の進み具合をチェックしに来ていたわけですが、子供達が生まれてからは工事とは関係なくほぼ毎日やって来ました。

ただ来るだけじゃあないんです。しょっちゅう誰かを連れて来るんです。友達や近所の知り合いや親戚の人や姉妹達や、そういう私が知らない人達を引き連れてやって来るのです。

孫を見せたい、あるいは工事の様子を見せたいということなんでしょうけど。

しかも、義母は玄関をノックして返事があるまで待ったりしません。いつも勝手に入って来るんですよ。一応玄関の所で「フーフー!」と声を出して来たことを知らせるんですけどね。

「あっ、また来た」と思ったら、もうそこにいるという状況です。

出産直後は特にストレスがたまりました。オーストラリアでは出産後2〜3日で退院しますからね、私は子供を産んだばかりなのと赤ちゃんの世話とで疲れ果てて寝ているわけです。一日中パジャマを着ていることもありましたよ。

そういう状況で、知らない人達を引き連れてやって来るんですよ。

交友関係が広い義母の家には、しょっちゅう人がやって来てBBQだのパーティーだのやっていましたけど、そういう時には私達家族も参加することを望みます。赤ちゃんを連れて、顔を見せに行くくらいは当然という態度です。

私は本当にストレスがたまって、とてもその家に住み続けることが出来なかったんですよ。それ以外にも理由はありましたけど。

こういう経験がありますからね、義弟のスペイン人の奥さんが10年以上も義母と仲良く暮らしていることに驚いたんですが、上手く行っている理由の一つは、スペイン人の奥さんが我慢をしないで言いたいことは言うし、義母の家での集まりに顔を出したりもしないということでした。

現在、義弟夫婦は住んでいる家(私達がリフォームした家)を取り壊して新しい家を建てているわけですが、義母があまりにも頻繁に、しかも人を連れてやって来て、工事をしている部分だけではなく義弟家族が住んでいる部分にも勝手に入って来るので頭に来たらしいんですよ。

スペイン人の奥さんは、来ないでもらいたいということを義母に伝えたんです。そして、うちの夫にも事情説明の電話をして来ました。私達が土曜日に義母の家に来ると分かっていたからです。

しかし、その土曜日、私は義母には驚かされました。

スペイン人の奥さんから来ないでくれと言われた直後なのに、その日スペイン人の奥さんはお出かけしていて家には誰もいないから、見に行くチャンスだと義母は言うのです。

うちの夫は建て替え工事を見に行きませんでしたが、私は行きました。外から見るぶんには問題無いだろうと思いましたから。そして、木の骨組みが出来上がっているのを見ながら、義母が間取りを説明してくれました。

義弟夫婦が別々の寝室で寝ているから、バスルームも別々のが必要だなんてことまで教えてくれました。

その後ですよ!

取り壊さずに残っている部分を見せるために、家の中に入って行こうとしたのです。誰もいないから平気だと言って。

「ちょっと待って!勝手に入ってはダメでしょ!義弟家族のプライバシーを尊重しなくちゃあ!」と私は言いましたよ。

そして、心の中で「私達が住んでいた頃も、私達が留守の時には人を連れて勝手に入って来て家の中を見せていたのかもしれない」と思いました。

自分が所有する家だとは言え、息子家族が住んでいる家ですよ。自分の家じゃあないんですから、勝手に入ってはダメですよ。

「この家は義弟達の家なんだから」と言う私に、義母が何と言ったと思います?「それでも基本的には私の家よ」と言ったんです。

そういう問題じゃあないんですよ。「ああ、この人とは一緒に住めない」と改めて思いました。


目が見えなくなっていることは気の毒に思うし、彼女のために私が出来ることはしてあげたいとも思っていたんですけど、あの上から目線の自分中心的言動には私も頭に来たのでございます。

こういう人ですからね、私達が昨年引っ越しをした際に手伝いを頼んでもいないのに勝手にやって来て、家の中に残していたものを勝手に持ち出して、「まだ物がたくさん残っているけど一体どうするの!」と私を批判するから、あの時はさすがに私は面と向かって反論したんですよ。

そうしたら、私に反論されてイライラがさらにヒートアップした義母は、私に対して大声で怒鳴りましたからね。

悪い人ではないですが、難しい人です。

絶対に一緒に暮らせません。


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2024年6月4日

減塩だけじゃあダメ

塩とは、ナトリウムの塩化物である塩化ナトリウムを主成分とする物質です。とても美味しいし手に入りやすいので、調味料として世界中で使用されています。

醤油や味噌やナンプラーなどの調味料の製造にも塩は不可欠です。漬け物や肉や魚や海藻の塩蔵にも利用されます。

料理に欠かせないこの塩を、出来るだけ使わないようにするというのが最近の私の課題です。

何故なら、昨年「Australian and New Zealand Paired Kidney Exchange (ANZKX) Program」という生体腎臓移植プログラムに参加して腎臓を提供したうちの夫の残った一つの腎臓が、

SOSを発しているからですよ!

先月の検査で、血圧が高過ぎることとたんぱく尿が出ているという問題が見つかったのです。血圧は腎臓摘出手術後すぐに高くなっていることが分かったので、血圧を下げる薬を12月から飲んでいるんですけど。

薬を飲んでいるのに検査をした時には150mmHg以上あって、それは高過ぎるから薬の量を2倍にするように医者に言われたんです。2倍にしてから2週間が経ちましたが、まだ下がっていないんですよ。

3日前には138mmHgと腎臓摘出手術後の最低値だったので「ついに下がったか」と夫も私もホッとしたんですけど、その日は義母(夫の母親)の家でうちの夫はヤバいほど食べ過ぎました。

義母が作っていたパンプキンスープは、塩味が足りていなかったので幸いでした。味見をして欲しいと頼まれましてね、塩が足りていないと分かりましたけど、私はこれでいいと言ったんです。もっと塩味が欲しい人は食べる時に自分で塩を足せば良いと。

だからパンプキンスープは良かったんですが、うちの夫はパンを食べ過ぎました。義母の分ももらって食べていました。どれもバターをたっぷり塗って。バターには塩が入っています。

お昼ご飯のメインは、お店で買って来たビーフパイとチキンパイだったんですが、ビーフパイは塩が入り過ぎていました。夫には注意したんですけど、夫はその塩からいビーフパイを2切れも食べ、おまけに久しぶりにワインも飲んだんですよ。

塩の摂り過ぎに加えてお酒を飲んだのです。腎臓には良くないですよ。私は注意しましたけど、そんなのを聞くわけがありません。

デザートのルバーブクランブルには、高カロリーのダブルクリームやアイスクリームをドバドバかけて食べていました。お代わりもしました。

食べ過ぎだと私は注意したんですけど、注意しても意味はないんです。

そして翌朝の血圧は、再び150mmHgを突破ですよ。昨日も今朝も高いままです。本人に危機感が無いのが一番の問題です。


昨晩、夫が脚を見せてくれました。むくんでいました。腎臓が正常に機能していないと、体内に水分がたまってむくみが生じますよね。靴下のゴムのところがめり込むようにへこんでいましたよ。

おまけに、スネのあたりに赤いポツポツがたくさんあったんです。湿疹が出ているのかと思ったら、違うんですよ。痒いからついつい掻きむしったり擦ったりして、かさぶたのような赤いポツポツになっていたのです。

腎臓機能の低下が痒みの原因にもなることを、昨夜初めて知りましたよ。腎臓が原因の痒みは、スネの辺りから始まることが多いと書いてあったのですが、まさにその通りなんです。

たんぱく尿と高血圧に加えて、むくみと痒み。うちの夫は、もっと真剣に取り組まないとダメです。

「もう十分注意してるよ。これ以上何が出来るの?」と言いましたから、土曜日に義母の家で何をどれだけ食べたか思い出せと言ってやりました。


晩ご飯作りは、塩を出来るだけ使わないように注意しています。塩や醤油の足りていないお料理は不味いですけど、何とか美味しく食べられると思うギリギリの減塩に毎日挑戦しているんですよ。

いろいろ作ってみて、和食は減塩が難しいと思います。

減塩が簡単なのは、うちの夫の大好物である「肉を焼いたのと蒸し野菜」です。肉を焼いたのは、味付けしなくてもいいんです。ただ焼くだけでいいんですよ。

私は塩こしょうをふりかけて食べますけど、うちの夫は塩こしょう無しでも食べますから。

蒸し野菜は、基本的に味付け無しでそのまま食べます。肉の味、野菜の味、それで十分なんだそうです。作るのがラクで、減塩が簡単で、夫が喜ぶ、三拍子揃った「肉を焼いたのと蒸し野菜」はいいですよ。

ただし、減塩に気をつけるだけでは不十分だということも分かりました。たんぱく質の摂り過ぎにも注意が必要なので、「肉を焼いたの」はしょっちゅう作るわけには行きません。

塩(ナトリウム)とたんぱく質だけでなく、カリウムやリンといったミネラルの摂取にも注意が必要だそうですが、そうしたミネラルが多く含まれる食品というのがあるわけですよね。健康に良い食品と思われている野菜や果物や穀類の中に要注意なものがいろいろあるんです。

例えば、緑の葉物野菜、アボカド、全粒粉や玄米、バナナ。

晩ご飯作りを任されている私は、もっと勉強しなくちゃあいけません。


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2024年6月3日

取り壊された家と壊れた心

土曜日に義母(うちの夫の母親)の家に行った話の続きなんですが、私には楽しみにしていたことが一つありました。

それは、同じ敷地内にある義弟家族が住んでいる家の建て替えの状況を見ることでした。

その家は、元々は古い小さな木造の家で「コテッジ」と呼ばれていました。部屋が2つ(寝室と居間)と小さなキッチンとバスルームがあるだけの小屋みたいな家でした。

私がオーストラリアに移民した頃、もう30年も前のことですけど、うちの夫がこの家に住んでいたんです。当時パニック障害で仕事が出来なくなっていた夫がリフォームを始めたところでしたが、私も一緒に住み始めてからは本格的なリフォームになりました。

私も手伝いましたけど、ほとんどの作業は夫が一人でやりました。

最初にキッチンとバスルームをリフォームしました。キッチンが狭かったので、キッチンの外にウッドデッキを作り、そこで食事が出来るようにしました。玄関も作りました。

お金が無いのでね、すべて自分達で作業したのですよ。そして、私達はこの家のキッチンで結婚式を上げたんです。突然の悪天候のためやむを得ずでしたけど。

息子が生まれる前には、居住スペースを広げるために大きな部屋を増築しました。壁も天井も板張りにしたのですが、天井に板を張るのは大変な作業でした。

娘が生まれる前にはさらに増築して、事務所を作ったり私達夫婦の寝室を作ったりしました。その時に日本式のお風呂場も作ったのですよ。

私達は20年ほど前にこの家から引っ越し、その後は賃貸に出されていましたが、10年ほど前から義弟家族が住んでいます。そして、義弟夫婦がこの家を建て替えることに決めたのです。

一部だけ残して、キッチンもバスルームもウッドデッキも玄関も日本式のお風呂場も取り壊しました。そこに彼等の好みの新しい家を建てているんですけど、もちろん自分達で作業なんてしていません。

この家は、私がオーストラリアに来てから住み始めた家でしたし、何年もかけて自分達でリフォームしたんですし、子供達が幼かった頃の思い出もありますし。

その家が取り壊されて無くなっているのを見たら、寂しい気持ちになるかもしれないと思っていました。

しかし、実際に見てみると私は何とも思いませんでした。悲しいとか寂しいという気持ちよりも、新しく建てている家がとても良いデザインだったので、完成が楽しみな気持ちでしたよ。

ところが…

うちの夫は、建て替えているのを見に行こうともしなかったんです。

見たくない様子でした。

英語で「ハートブロークン」(Heartbroken)という言葉がありますけどね、心が壊れた状態という意味の言葉ですが、うちの夫はそれだと思います。

何年もかけて大いに苦労しながら自分が建てた家が取り壊されているのを見るのは、そりゃあ悲しいでしょう。

特に日本式のお風呂場はね、私達には特別のものでした。家に継ぎ足すようにして建てたんですが、骨組みを作るのもコンクリートを流し込むのもタイルを張るのも、全部うちの夫が一人で作業したんです。それも仕事と両立させながらですよ。

そのお風呂場にあった日本式の浴槽は、現在義母が植木鉢として使っています。庭の端にポツンと置かれていて、ツバキの木が植えてありました。

あの浴槽はね、オーストラリア製の浴槽だったんですよ。日本式の浴槽を作って販売している会社があったんです。それを手に入れて、床も壁もタイル張りの日本式のお風呂を作ったんです。

二人でタイルを買いに行ったことを今でも覚えています。

うちの夫は、あの浴槽にツバキの木が植えてあるのなんて見たくないだろうと思いますよ。見たくない気持ちは分かります。悲しいですよね。

しかし、住んでいるのは義弟家族なんですから、自分達が住みやすい家に建て替えたいという彼等の気持ちも分かります。(それなのにバイロンベイという街に引っ越すつもりだというのは分かりません。)

うちの夫が建てた一部分はまだ残っていますから、完全に何もかも無くなってしまったわけではないですからね、そんなにがっかりしないで欲しいです。


建て替えている家は、とても素敵な家になると思いますよ。

壁の骨組みはもう出来ていて、ウッドデッキ部分は半分完成していましたが、さすがはプロの大工さんが作っているだけあって、階段なんてすごくいい感じでしたよ。

仕事が遅いので義弟はイライラしているようですが、クリスマスまでには完成するでしょう。


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2024年6月2日

義母の家で思ったこと

昨日、私達家族は義母(うちの夫の母親)の家に行って来ました。

お昼ご飯に呼んでもらっていたんです。1週間前から決まっていたことなんですが、先日義母は階段を踏み外して転落し、歯が唇に突き刺さって貫通するという事故にあいましてね。

彼女を励ますためにうちの娘も行くと言うので、私達家族4人で行ったんですけど、義母の下唇の下の縫った部分は黒くなっていましたが、唇の腫れも引いていて大変元気でした。

ウッドデッキの横にある階段を踏み外したと聞いていたんですが、踏み外したのは自分の家ではなくて義弟(夫の弟)が住んでいる家だったそうです。

同じ敷地内にある家ですが、義弟に会いに行った帰り、その家のウッドデッキの横の階段を下りていて転落したそうです。

階段の数を間違えたと言うんですよ。

義母は、うちの夫と同じ遺伝性の黄斑変性でほとんど目が見えなくなっています。視野の中心部分は黒くて何も見えない状態なんだそうです。

皆さんね、まっすぐ前を向いた状態で目のすぐ前に握りこぶしを2つ近づけると視野の中心部分は何も見えなくなるでしょう?でも視野の外側は、ぼやけていますけどまだ見えるでしょう?

そういう状態らしいんですよ。

そのぼやけている視野の外側部分でものを見て生活しているんですが、やってみれば分かりますが、ものを見て認識するのはとても無理です。

階段を見ながら下りるなんてことも出来ないそうです。義母は階段の数を覚えていたので、その数を頼りに下りていたらしいのですよ。ところが、数を間違えていたんです。思っていたよりも階段は多かったのです。

だから最後の部分を踏み外して転落したということでした。

危ないわ…

その階段はもう二度と使わないと言っていました。


昨日は、義母にお昼ご飯に呼んでもらっていたわけですが、目が見えないのにどうやって料理をするのかと心配で、私達が何か持って行くと言ったんですけど、義母は自分で何か作ると言いました。

行ってみたら、パンプキンスープが作ってありました。

メインディッシュは、ベーカリーで買って来たビーフとチキン2種類のパイと、ブロッコリを茹でたのと、マッシュポテトでした。野菜を切ったりジャガイモの皮をむいだりは出来るんだそうです。

しかし、火加減とか野菜が煮えたかどうかを判断するのは出来ないし、ジャガイモをつぶしてマッシュポテトにしたりするのも出来ないので、そういうのはパートナーに手伝ってもらうそうなんですけど。

義母はロースト料理が得意な人でしたが、もうそういう料理は出来ません。しかし、自分にできる範囲で今でも料理をしていると言うんですよ。目がほとんど見えていないのに、どうやってやっているのか私には想像も出来ません。

昨日は久しぶりに義母の家に行ったのですが、義母の目が見えていないことに改めて気づかされることもありました。

掃除機はちゃんとかけてあって、カーペットはキレイだったんですけど、キッチンがとても汚れていたんです。食器やスプーンなどがキレイに洗えていないまま戸棚に片付けられていたりしました。

パントリーの中も冷蔵庫の中もとても汚れていて、冷蔵庫のドアは特に汚れがひどかったです。もちろんガスコンロの周囲は汚れが目立っていました。

バスルームも汚れていましたし、家の中のいろいろな所にクモの巣があったりしました。

見えないのですからキレイにしようがありません。

ここが汚れていますよとか私が掃除をしてあげましょうかなんてとても言えませんでしたし、お掃除サービスを利用したらどうですかとも言えませんでした。

そういうことは、息子であるうちの夫か義弟が何かの機会に言ってあげるしかないように思います。義母とパートナーは十分な経済力があるので、お掃除サービスを利用すればラクだと思うんですけど。

ひどく汚れた冷蔵庫のドアを見て、私は少し悲しくなりましたよ。

義母の家は大きいし、敷地も広いし、今はもう使っていない牧場もあるんです。家の周囲の草木の手入れや草切りだけでも大変なんですけど、もうすぐあの二人の手には負えなくなると思います。

そういう仕事が得意なうちの夫が助けることができれば問題ないんですが、うちの夫も目が見えなくなって来ていますから難しいです。

同じ敷地内に義弟家族が住んでいますけど、彼等はバイロンベイという街に引っ越したいと言っていますしね。

義母は、家を売る気は無いようですが、自分達で出来ないことが増えて来たら今の暮らしを続けていくことは出来ません。誰もが避けては通れない問題です。


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2024年6月1日

緩和ケアと終末期ケア

先日の記事「認知症と終末期と尊厳死」で話題にした、うちの夫が勤めるツールショップの同僚Cさんのお父さんですが、一昨日の夕方に亡くなられました。

認知症が悪化して家族のことも含め多くのことが認識出来なくなっておられたんですが、身体も弱り、先月はベッドからの転落や転倒が続いていたそうです。

1週間ほど前に腎臓が機能しなくなっていることが分かましたが人工透析は不可能ということでした。それに加えて血栓のために下肢が赤黒く変色して腫れ始めました。下肢が壊死して来ていたのですけど、治療は出来ないということでした。

痛みがひどくなり介護施設から病院に移されましたが、治療が出来ないということで病院から「終末期ケアの施設」に移されたと聞いていたのですけど、その翌日に亡くなられたことになります。

おそらく、モルヒネか何かの薬で苦しみを終わらせてもらったんだと思いますよ。お父さんの心臓が自然に止まるまで苦しませ続けるはずがないですから。

Cさんのお母さんも脳のがんのために認知症が進んでいます。記憶の障害が顕著で、覚えていたことが思い出せなくなっていらっしゃいます。もう2〜3か月前のことですが、親しい友人に会った時にその人のことが認識出来なかったそうです。

今はまだ息子であるCさんとコミュニケーションが取れていますが、いつかはCさんのことも認識できなくなるんですよ。自分の意思を伝えることも困難になります。

お母さんも、いずれは介護施設に入るしかないでしょう。


私は、Cさんのお父さんが「終末期ケアの施設」に入られたと聞いた時に調べてみたんですが、終末期ケアは緩和ケアサービス(Palliative Care)の一部で、オーストラリアでは公立病院での医療サービスと同じく緩和ケアサービスも無料なんだそうです。

ヴィクトリア州の緩和ケアサービスについては、「Palliative Care Victoria」のウェブサイトに詳しく載っています。

このウェブサイトには、「緩和ケアとは、生命を脅かす病気や末期の病気を抱えて生きる人々が、できるだけ充実した快適な生活を送れるように支援するケアです」と書かれています。

終末期ケアと緩和ケアとでは病気の治療を行うかどうかという点で違いがあるようですけど、ほぼ同じ意味で使われているように思います。

ヴィクトリア州の緩和ケアは、次のようなサービスを提供しています。

  • 痛みやその他(吐き気や息切れなど)の症状の緩和
  • 在宅介護に必要な機器などの提供
  • 家族が集まってデリケートな問題について話し合うための支援
  • 将来の治療決定とケアの目標計画
  • 在宅介護や経済的支援など他のサービスへのリンク
  • 文化的(宗教的)な道徳責任を果たすための支援
  • 感情的、社会的、精神的な懸念に対する支援
  • 家族の心痛に対するカウンセリングとサポート
  • レスパイトケア(介護をする家族が一時休養するための介護サービス)の紹介

緩和ケアサービスは、病院、ホスピス、介護施設、あるいは在宅で受けることができるそうです。

基本的に無料ではあっても、公立病院での医療サービスが有料になる場合があるのと同じように、サービスの内容によっては経費が発生する可能性があるそうです。

私はこれまで何度も公立病院に入院したり手術や治療を受けたりしましたし、息子も娘も公立病院で出産しましたが、いつも無料でした。1ドルも払っていません。

終末期ケアも無料だということを知って、少し安心しました。いずれ私もこうしたサービスのお世話になるかもしれませんからね。

経済的に恵まれていない人も医療サービスや終末期ケアサービスを受けられるということですからね、ちゃんと税金を払おうという気持ちになりますよ。


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