2025年11月5日

成田エクスプレス運休でパニック

今朝、無事にメルボルンの自宅に帰って来ました。

自宅に着いたのは日本時間の8時頃。前の日の朝9時半頃に岡山中西部の実家を出たんですから、一日がかりの旅です。この旅のうち最も大変なのは、成田空港までの移動なんです。

今回は行きも帰りも新幹線を利用したんですが、飛行機を利用するのと時間的には大差が無いのと、乗り慣れているJRの方が目まいの心配がある私にはいいだろうと思ったからですけど、次回は飛行機を利用しますよ。

鉄道を利用した場合のリスクを、私は考えていませんでした。天気が良好でも鉄道は運休することがあるのです。

新幹線から成田エキスプレスへは、以前は東京駅で乗り換えていたんですけど、品川駅の方が乗り換えが簡単だとJRの人に勧められたので、品川駅での乗り換えにしました。成田エキスプレスが発着する13番線まで、時間通りに進みました。

ところが、ホームに行ってみると電光掲示板に成田エキスプレスの発車案内が出ないんです。これはおかしいと思って駅の人に聞こうと思ったんですが、誰もいませんでした。

駅の窓口まで行っている余裕がなかったので、私は警備室と書かれた小さな建物の鉄のドアをノックしたのでした。そこに女性の駅員さんが入るのを見たからです。

ドアが開いて現れた駅員さんに、成田エキスプレスの切符を見せながら聞きました。

「すみません、この列車に乗りたいんですけど」
「ああ、この列車はですね、キャンセルされたんです」
「ええーっ!」
「踏切で事故がありまして、この次の列車もキャンセルされました。まだ復旧の目処は立っていません」

次のにも乗れないとなると、飛行機に遅れてしまいます。息子とは成田空港で落ち合うことになっていたので、一人で行くしかありません。私はもうパニック状態です。

駅員さんは大変ご親切に「京急線で行くのが一番早く着きます」とおっしゃいました。その時、午後2時半頃でしたが、2時39分発の成田空港行きがあるからそれに乗るようにとおっしゃいました。

しかしですね、私には「京急線って何?」「ここからどうやって行くの?」「切符はどこでどうやって買うの?」状態なわけです。

その時、私の後ろで駅員さんと私の会話を聞いていた男性がいました。その方も私が乗る予定だった成田エキスプレスに乗る予定だと分かりました。女性も一緒でしたが、そのお二人は駅員さんがおっしゃっていることがよく分かっているようでした。

JRの切符で「京急線の電車」に乗れると分かるとすぐにそっちに向かわれようとしました。

「すみませんが、私には何が何だかさっぱり分からないので、一緒に行ってもいいですか?」と言うと、「いいですよ、一緒に行きましょう」と言って下さったんです。

ふと見ると、私達の会話を聞いている人がもう一人いました。金髪の外国人女性でした。英語で話しかけてみると、その外国人も私と同じ状況だったので一緒に行こうと誘いました。

こうして、私達は男性に誘導されて京急線の成田空港行きの電車に乗ることが出来たんです。電車を待っている間の話から、なんとその男性は岡山の倉敷出身だということも分かりました。

金髪の女性はアメリカ人でした。その方が乗る飛行機は5時半発でしたが、京急線の電車は4時に成田空港に着くことが分かったので、なんとか間に合うということで大変安心されていましたよ。

私は親切に助けてくださった男性と連れの女性に心からのお礼を申し上げて、成田空港第2ビル駅で降りました。息子はすでに成田空港に到着していて、私は無事に約束の場所で息子と合流することが出来たんです。

空港には早めに着くように家を出ていたので、トラブルがあっても影響はありませんでした。それでも、あの親切な男性に会わなかったら、私はどうなっていたか分かりません。相当な苦労をしたでしょう。だって、本当に品川駅で成田エキスプレスに乗り換えるということしか知らなかったですからね。


いろいろ調べてみると、カンタス空港を利用することにこだわらなければ、日本航空のメルボルンからの直行便で成田まで行き、羽田に移動してその日のうちに岡山空港まで来る方法があるようです。

早朝の出発で深夜の到着ですから、いずれにしても体力はいります。

それでも、今回20年ぶりに息子と一緒にですけど旅行してみて、次回は一人でも来れそうだと思いましたので、次回は飛行機での移動を考えます。

それにしても、本当に助かりました。

誰かに親切にされると、自分も誰かに親切にしたいと思いますね。


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2025年11月3日

日本滞在最終日

10月6日から岡山の実家で過ごして来ましたが、今日が最終日です。明日の朝9時半に家を出て6時間がかりで成田空港まで行って、東京で旅行を続けている息子と空港で落ち合って一緒に帰ることになっています。

昨日の日曜日には私の2人の妹達も実家に集まり、母と私達3人姉妹との4人で楽しい一日を過ごしました。もちろん、母は朝から大張り切りで美味しい料理を次々と作り、先日作ったこしあんで柏餅まで作ってくれたんですが、その手際の良さには目を見張らされましたよ。すごいんですから。

柏餅を作ると言うので葉っぱはどうするのかと聞くと、葉っぱはちゃんと冷凍庫に保存されていました。あんこはお団子やお餅を作る場合の1個分を30グラムとして、10個分ずつを棒状にして冷凍保存してありました。これを解凍している間に生地を作って、あっという間に柏餅を作ったんですよ。

昨日は私のリクエストで「五目おこわ」も作ってくれました。もちろん前日から材料は仕込んでいました。

私は「五目おこわ」は炊飯器で作るんですが、蒸し器で蒸して作る母の「五目おこわ」は比べ物になりません。母から一度ちゃんと習いたかったのに一緒に作って習う機会はこれまでなかったんです。昨日はメモを取りながらちゃんと習い、妹に蒸し布も買って来てもらいましたので、メルボルンに帰ってから作ってみます。

妹達とはいろいろな話をしました。思い出話や家族のことなども話しましたが、現実的な話もしました。実家の家の名義変更のことなどです。現在は今年亡くなった父の名義になっていますが、これをどうするかという話です。

実家のある岡山県中西部の町周辺は過疎化が進み、空き家が増えています。実家の近所も空き家だらけです。現在90歳になる母が一人で暮らすこの家もいつかは住む人がいなくなる時が来るわけですけど、その時どうするかという現実的な問題を話し合っておかなければいけませんでした。


実家滞在最終日の今日も、母は私に美味しいものを食べさせようと朝からずっとお料理をしています。ちらし寿司を作ろうとしているようです。晩ご飯は、そのちらし寿司と焼いた塩サバだろうと思います。最高のご馳走です。

滞在中ずっと美味しいものを作り続けてくれた母に感謝です。とにかく元気で頭脳明晰な母ですから、転んで骨折するとか新型コロナのような厄介な病気に感染したりしなければ、まだまだ元気に長生きしてくれそうな気がします。

私も目が回っていなければ一人で旅行が出液そうなので、次回は息子の助けなしで来れそうです。毎年会いに来れるほどの経済的な余裕はありませんが、出来るだけすぐにまた来ようと思っています。


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2025年10月31日

母のあんこ作りと親心

10月だというのにいつまでもだらだらと夏が続いていたのが、ある日突然寒くなり、秋を通り越して冬が来たみたいな岡山の田舎の実家で、毎日特に何かするわけでも無く過ごしています。

昨日の朝も冷え込みましたが、日中は20度以上まで気温が上がりました。気持ちがいいので、散歩を兼ねてセブンイレブンまで歩きました。田舎にもセブンイレブンはあるんです。実家からはゆっくり歩いても15分もかかりません。のんびり山沿いの道を歩いて行きました。

行った目的は、「きんつば」を買うため。数日前からあんこ系のお菓子が食べたくてたまらなかったのですよ。先週その店で買った「きんつば」が美味しかったのでもう一度買おうと思って行ったんですが、売り切れていたので大福餅と草餅を買って帰りました。

それを見たうちの母が、私に柏餅を作ってあげると言って、今朝早くから小豆を煮ていました。800グラム入り袋を全部煮たそうでかなりの量になっていましたが、それをこしあんにしていました。

私もメルボルンであんこは良く作りますが、こしあんは面倒なので作るのはいつも粒あんです。しかし、母は実に簡単にこしあんを作ったんです。

大きな鍋に手ぬぐいで作った袋を敷き、その上にざるを置き、軟らかく煮た小豆をざるに移してすり棒でつぶしていました。皮はざるに残り、あんこは手ぬぐいで作った袋に残り、鍋には水だけがたまるという仕組みなんです。

母がこしあんを作るのを本気で見て習ったことがなかったのですが、なるほどこうやって作っているのかと今更ですけど勉強になりました。私がフードプロセッサーで皮も全部ガッガーとつぶして作るこしあんよりもやはり舌触りがいいです。

メルボルンに帰ったら、母のやり方でこしあんを作ってみようと思いました。


母は90歳を超えていますが、お料理の手際がすごいです。あっという間にいろいろ作ります。65歳の娘に食べさせてやりたいと、毎日美味しいものをたくさん作ってくれます。

母と娘の関係というのは、歳をとっても変わらない特別なものがありますね。うちの娘が家に帰って来る時に、私が娘の好きなものを作って食べさせてやろうと思うのと同じ気持ちなのでしょう。

うちの娘は料理が好きでとても上手ですが、それでも一緒に料理をしていると私が教えてやれることはいろいろあります。

メルボルンに帰る日が近づいてきました。帰る前に私の大好物の蒸し器で作る五目おこわの作り方を習おうと思っています。


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2025年10月30日

みどりの窓口がない!

岡山市に本店を置く「中国銀行」は、岡山県でトップのシェアを誇る銀行なんですが、私の実家ある中西部の町は過疎化が進み、この町にあった支店が無くなったそうです。

振り込みとか支払いとか、大抵のことはオンラインで出来る時代ですが、うちの母にはそういうことが出来ません。用事がある時には一番近い支店がある高梁市まで行かなくてはいけません。

昨日は銀行に用事があったので高梁市まで私も一緒に行きましたので、ついでに来週帰国する時の成田空港までの列車の切符を買っておこうと思い、高梁市にある備中高梁駅に行きました。

実家から成田空港までは、5時間以上かかる大旅行なんですよ。備中高梁から岡山まで行き、そこから新幹線で品川まで行き、品川から成田エクスプレスで成田空港まで行くのです。3つの特急券が必要で、すべて座席指定が必要です。時間がかかる新幹線はグリーン車を利用して窓側の席を頼むつもりでした。

何かあった時のことを考えて早めに空港に着くようにしたいと思いました。備中高梁駅の「みどりの窓口」で相談しながら時間を決めようと思っていたら、

「みどりの窓口」がなかったんです!

改札口の近くで掃除をしていた人に「すみません、この駅にはみどりの窓口はないんですか?」と聞いたら、「みどりの窓口って何ですか?」と言われました。20年近くも日本に来ていなかったので知らなかったのですが、多くのJRの駅で「みどりの窓口」は廃止されたんだそうですね。

岡山県には、人が対応してくれる切符売り場のある駅は4つしかないんだそうです。

備中高梁駅には、私が買いたい切符を売る機械は一つしかありませんでした。私の前の人がその機械で切符を買おうとしていましたが、機械に取り付けられていた受話器でオペレーターと話しながらやっていましたが、結局その人は切符を買うことをあきらめたようでした。

私は「みどりの窓口」で相談しながら時間を決めるつもりでしたが、それは諦めてiPhoneで列車の時間を調べました。その時間で切符の購入を試みたんですけど、

わけが分からん!

そうこうしているうちに私の後ろに人が並ぶし、発券機が1台しかないんですから、もたもた時間をかけてやっていられないんですよ。操作を取り消してしばらく待っていました。そして他の人がいなくなってから再び挑戦したんですが、よく分からないんです。

そこでオペレーターの助けを借りようと思ったら、順番待ちが3人と表示されました。待っているうちに再び私の後ろに人が並び始めましたから、もう機械で買うのは諦めました。

人が対応してくれる切符売り場のある4つの駅の1つは倉敷駅です。私は倉敷まで行くことにしました。そうしたら、次の普通列車まで待ち時間が1時間!

そんな…

仕方がないから特急「やくも」に乗ることにして特急券を買おうとしたけど、これも買えず。結局、特急列車の中で割高料金の特急券を買いましたから、倉敷まで行くだけで1880円もかかったんです。(泣)

切符は、倉敷駅の「みどりの窓口」の行列に並んで、スタッフの方と相談しながらちゃんと買えました。私以外の方は、来週の新幹線の切符とか、私が買ったような複数の切符を家族分とか、機械では買いにくい切符を買っていらっしゃいましたよ。

切符はインターネットで簡単に買えるとJRは宣伝していますが、インターネットやスマホの操作に不慣れな高齢者には、1台しかない発券機で複数の切符を座席指定しながら買うなんて無理です。

不便になったものですね。駅が無人になって、切符を買うのに苦労している方が大勢いらっしゃることでしょう。

今日の新聞にJR西日本の全線が赤字だという記事を読みましたが、利用しにくいJRを避けて費用が高くついてもタクシーを利用する人が多いのも納得です。


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2025年10月29日

悪夢の国際郵便小包とパニック

家の片づけをしていて見つかった古いアルバム、そしてアルバムに貼れてもいない大量の写真。

日本に来てから購入した22センチの靴(日本でしか手に入らない!)やユニクロの長袖の服(オーストラリアのユニクロは同じ商品でも日本で売られている商品よりも袖が4~5センチ長い!)や母から譲ってもらった服やエプロン。

アマゾンで買った調理器具や娘が備中国分寺で買った絵や息子の荷物。

日本滞在中に荷物がかなり増えましたので、箱に詰めて送料の安い船便で送ることにしていたんですけど、

日本郵便の国際小包が面倒くさすぎる!

紙の送り状というのがなくなっているんですね。オンラインで全部やらなくちゃあいけなくなっているんですけど、「国際郵便マイページサービス」というやつにアカウントを作って送り状と必要な書類を作らなくちゃあいけません。

依頼主とか送り先の記入は簡単ですけど、内容品リストの作成が完全に悪夢のレベルなんですよ!

私が箱に詰めた物は全て個人的なもので、多くには値段なんて無いんですけど、いちいち品名や値段を登録しなくちゃあいけないもんですから、あまりに面倒で郵便で送るのはやめたんです。

実家のある町では郵便以外に海外に荷物を送る選択肢がありません。そこで、全部の荷物の重さを量ってみたら何とか機内に持ち込める30キロ以内に収まりそうだったので、箱はヤマト運輸で成田空港あてに送ることにしました。

その箱詰め作業のついでに、昨日はスーツケースを整理したんです。

そうしたら、

パスポートが見つからないの!

パスポートは滞在中には持ち歩く必要がないので、スーツケースに入れたままにしていたんです。ところが、いくら探してもない!

全てのポケットを探したけどない!

ハンドバッグや小さい旅行かばんの中もあらゆるポケットも探したけど、どこを探してもパスポートは見つからなかったんです!

成田空港に送る箱も開封して中身を全部出して調べたけどない!

そうこうしているうちにヤマト運輸の方が集荷に来てくださいました。パスポートが無いと帰れないけど、成田空港に送った箱は出発日に受け取らなくてはいけません。しかし、予定通りに帰れなくなる可能性が出て来たから、箱が受け取れなくなる可能性も出て来たわけですよ。

私は心臓がバクバクして来て、顔が真っ赤にほてって、喉はカラカラになって上手く喋れないほどになって、完全にパニックモード!

パスポートが見つからないことを知った母も心配して一緒に探し始め、実家の金庫の中まで探し(そんな所に入っているわけがないのに!)、座布団や布団の下や絨毯の下まで探し(そんな所にあるわけがないのに!)、オーストラリア領事館にパスポートの再発行を頼むしかないと思い始めた時ですよ。

母が私がデスク代わりに使っている座卓の上にあった小さなポーチを指さして、「それは何?」と聞きました。その小さなポーチには、私の薬が入っていたんです。

「これには薬を入れているのよ」

そう言ってポーチのファスナーを開けたら、中には薬と一緒にパスポートが入っていました。

なんでこんなところにある!

「誰が入れたの!」と言っても、私以外に入れる人はいないわけですけど、私にはそのポーチにパスポートを入れたことなど記憶にないんです。

いやあ…

見つかって良かったですけど。

心臓も胃もおかしくなりましたよ。おかげでドジャーズが18回の裏にサヨナラ勝ちするところを見逃しました。


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