先日の私の父親のお葬式に、うちの夫と息子と娘が弔電を送ると言うので私が手配をしたんですけど、うちの家族は日常会話の日本語は話せても読み書きが出来ません。
英語で書いたのを私が翻訳したのかというと、ちょっと違うんですよ。「チャットGPT」というAI(人工知能)技術によるチャットサービスを使ったのです。
「以下の文章を日本語に訳してください」と書いて、英語の文章を書き込むと、一瞬で訳してくれるんだそうです。夫が書いたメッセージなんて、人の名前の漢字以外には直すところがほとんど無いくらい上手に訳していました。
翻訳を仕事にしていた私には、機械を使った翻訳は使い物にならないという印象があるんですけど、人工知能って進化しているんですね。
さて…
その弔電の準備をしていた時、父の思い出話になったのです。
私の父は、わら草履を作ったり、お正月のしめ飾りを作ったり、神楽のお面を彫ったりする手先の器用な人でした。養蜂をして蜂蜜を作ったり、スズムシや小鳥を飼ったり、いろいろな趣味を楽しむ人でした。
オーストラリアに来てくれた時の面白いエピソードをいろいろ思い出しました。
父は英語が全く出来ませんでしたが、言葉が通じないことなど気にする様子もなく、オーストラリア人達には日本語で話しかけました。
夫が今でも思い出すと笑みがこぼれるというエピソードは、家の庭に記念の木を植えようということになって、モミジの木を探しに行った園芸店でのことでした。
その園芸店は商品の管理が良くなくて、売られていた苗木がかなり乾燥していたんです。それを見た父親は、園芸店の人に向かって「もっと水をやらにゃあいけんでしょうが!」と日本語で注意したのですよ。
何を言われたのか分からない園芸店の人に、うちの夫が何と言ったかを教えてあげると、その人は不機嫌になりましたよ。外国人の客に「ちゃんと水やりをしろ」と言われて気分が悪かったのでしょうね。
そう言えば、私達の家の近くにあった野生動物保護園に秋篠宮ご夫妻がいらっしゃるということを知り、お目にかかる絶好の機会だということで出かけたことがありました。父が紀子様に「眞子さま佳子さまお元気ですか?」と話しかけたら、メルボルン領事館のスタッフが「話しかけないでください!」と偉そうに注意したんだそうです。
領事館のスタッフは、後で私の父に謝罪したそうですけど、一般市民と普通に会話をするヨーロッパの王室とは大違いだと言って憤慨していたのを覚えています。
帰国時には、メルボルン空港で私達と別れて出国ゲートを通った後で肩を痛め、空港内の診療所に運ばれるというアクシデントもありました。そういう時でも、父は言葉が通じないことなど気にしません。何が起きたのか、どこがどう痛いかを日本語で説明するわけですからね、焦ったのは医者の方だったでしょう。
私達家族が日本に滞在した時には、うちの夫は父にいろいろ面白いことを教えてもらったり見せてもらったりしたと言います。日本で仕事をしていた頃には父に助けてもらったと感謝しています。
そういう話を聞くと、確かに父のことで楽しい思い出もあったなと思うんですよ。幸せを感じた時はあったのに、そういうことはすっかり忘れていました。
経済的にはさんざん世話になって、助けてもらったことも多いのに、どうして私は子供の頃のつらかった思い出だけにとらわれていたんでしょうか。
うつ病になってからは、とにかくつらかったことや傷つけられたと感じた出来事ばかりを次々に思い出しては胸が苦しくなっていました。
嫌なことばかり、つらいことばかりを繰り返し思い出すのは、うつ病や不安障害の特徴の一つだと言われています。繰り返し思い出し過ぎて、つらかったという感情を増幅させてしまっていたのかもしれません。
うちの娘には「お母さんは心理セラピーを受けるべきだった」と何度も言われましたが、当時は日本語でセラピーやカウンセリングを受ける機会は無かったです。経済的な余裕も無かったですから、自分よりも娘がセラピーを受けることの方が大事でした。
それでも、別の対処法があったかもしれません。父親とはもっと良い関係を築けたんじゃあないのかとも思います。「ああするべきじゃあなかった」「こうするべきだった」と、反省や後悔が頭の中で繰り返されます。これもうつ病や不安障害の特徴の一つですから、注意しないといけません。
過ぎてしまったことを変えることは出来ませんし、病気になったことも今さらどうにも出来ません。苦労しながら私は子供達を育てたんだし、頑張ったんだから、もう後ろを振り返るのはやめようと思います。
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