2011年12月30日

恐くて優しいサングラスの女警察官

年末が近づいて来た。大掃除をする元気はないが、ある程度は家をきれいにして新年を迎えたくなり、クリスマス飾りを片付けて掃除をした。

ふと見ると、デスクの上にヴィクトリア州警察から届いたスピード違反の通知書が…。

このスピード違反の顛末は、先日のブログ記事でお読みいただくとして、納得のいかないスピード違反であるけれでも、違反は違反であるから罰金を払うしかないと友人も夫も言う。

「そんな…、たったの4キロよ。いつもノロノロ安全運転の私なのに…」
「しかし、4キロオーバーしていたんだよ。警察は証拠を持っているわけなんだし、払うしかない。」

どうにもならないと、みんなが言う。それでも納得がいかず、デスクの上に置いたままにしていた通知書。罰金153ドルの支払い期限は1月7日。

「ああ、やっぱり身の回りをきれいにして新年を迎えたいよねえ。しようがない…」

私は、自分が犯した(たった4キロの)速度違反の罪を受け入れることにして、オンラインの決済システム BPAY で罰金を支払った。

罰金を払い終えた後、息子がショッピングセンターに連れて行ってほしいというので、近くのイーストランド Eastland へと車を走らせていたら、警察が飲酒運転取り締まりの酒気検査をやっていて車を止められた。

ブレステスト Breath Test というやつで、黒い酒気検査器にプラスチックのチューブが取り付けてあり、ドライバーにそれをくわえさせて息を吹き込ませる。これで血中アルコール度を調べるのだ。

私はクリスマス以来酒類は口にしていないので100%自信満々であった。

思いっきり息を吹き込む。黒いサングラスのブロンド美人警察官は、「ハーイOKです、行っていいですよ!」とは言わなかった。

「車両登録料は支払っているんですか?」と、恐ろしい声で言った。
「ええっ?」

オーストラリアでも、車両を所有する場合は、毎年、登録料を支払わなくてはならない。車両登録料を支払い、送られてくる登録証明ステッカーをフロントガラスに張っておくことが義務づけられている。今年は、その登録料の支払いを夫が光熱費の支払いと一緒に BPAY でやってくれたので、私はそのことをすっかり忘れていた。私のカローラには、期限切れの古いステッカーが貼られていた。

「は、払いましたよ。払ったはずです」
「ステッカーはどうしたんですか?」
「すっ、すみません。忘れていました。家に帰ったらすぐに貼ります」
「調べますからこっちに車を移動させてください」

黒いサングラスをかけた男警察官もやって来た。私は、酒気検査をやらされている後続の車の邪魔にならないように車を移動させられ、男警察ににらまれながら、女警察が車両登録の問い合わせをするのを見守った。

(夫はちゃんと支払ってくれているのだろうか。払ったと言っていたのを聞いた覚えがあるが…。ステッカーはどこにあるのだろう…。見た覚えがない。)

びくびくして待っていると、女警察が恐ーい声で言った。

「車両登録料は支払ってありました。ステッカーはどこにあるんですか?」
「いぃ、家にあります(と思います…)」
「有効なステッカーを貼っていないのは、罰金の対象です。」
「えぇっ、そんな。(これ以上罰金を払う経済力は我が家にはない!)」

動揺する哀れな私を、黒いサングラスでじっと見る女警察。

「家にあるんですね? 」
「はい、(たぶん…)」
「帰ったらすぐに貼り替えなさいよ」
「はい、家に帰ったらすぐに貼り替えます!」
「じゃあ、行っていいです」

私は女警察に心から感謝を申し上げて、解放してもらった。

ステッカーは、夫のデスクの上を埋め尽くす大量の書類とゴミくずと道具と事務用品類とその他モロモロの堆積物の山の中から見つかった。

女警察に約束した通りすぐに貼り替えました。

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2011年12月29日

金平饅頭

昨日ブログに書いた岡山の友人からEMS 国際スピード郵便が届いた。

「なんだろう…。この大きさ、そして重さからすると文庫本かな?」

私は、何の本を送ってくれたのだろうかとワクワクしながら袋を開いた。

入っていたのは文庫本ではなかった。

出て来たのは、岡山県人なら誰でも知っているであろう「高瀬舟」羊羹!
そして、高島屋の紙袋。
「おおっ、高島屋の袋だ!」

まあね、海外生活が長くなると、こうしたデパートの紙袋一つでも懐かしさがこみ上げてくるのですよ。「高瀬舟」羊羹にも感動したけど、これは私の母親が時々送ってくれたりもしていたので、感激度は高島屋の袋の方が上回っていた。

さて、その高島屋の袋に入っていたのは、ああ…どうしよう、こんなものが届くなんて、皆さん、この高島屋の袋に入っていたのはですねぇ、

金平饅頭(きんべいまんじゅう)

だったのです!

「金平饅頭」のことは先日のブログ記事「執念の甘納豆」にも書いたが、私が生まれ育った岡山県成羽町の三宅製菓本店が作る郷土銘菓であります。

上品な白あんを卵たっぷりのカステラ風の皮で包んだ焼饅頭で、「金平饅頭(きんべいまんじゅう)」の名前は、初代の三宅金太郎さんが「金平さん」と呼ばれていたことに由来しているそうな。

岡山の友人は、先日買い物に出かけた高島屋で偶然この「金平饅頭」を見かけ、私がブログに「食べたい食べたい…」と書いていたのを思い出し、わざわざEMS 国際スピード郵便で送ってくれたのだ。

卵を含む食品は、まず税関で没収されるオーストラリアであるから、こういうものを持ち込むこと自体が結構難しかったりするのだが、今回はそういうことをとやかく言うまい。ありがとう、ユアサちゃん(友人の名前)!



今、これを書きながら、おいしくいただいています。


しかしねえ、この南の端っこの街メルボルンで、岡山県成羽町で作られた「金平饅頭」をいただきながらブログを書き、そのブログを世界中の様々な国に住む皆さんが、こうして読んでくださる。「金平饅頭」が届けられたのも、ブログがきっかけだったわけだし。素晴らしい時代になったものだわ。

三宅製菓本店のホームページ
http://www.miyakeseika.jp/


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2011年12月28日

子犬のバディ

久しぶりに岡山の友人からメールが届いた。

今月から週4日働き始めたのと家族が増えたのとで、バタバタしていると書いてあった。

「家族が増えた?どういうこと?」と思ったら、メールの下に携帯で撮影したと思われる写真が添付してあった。


すぐに娘のサチを呼んだ。
「サチ!ちょっとおいで!直輝んちに家族が増えたんだって!」

早く見せたくてたまらないのに、キッチンでトーストをほおばっていたサチはなかなか来ない。
「早くおいで!可愛いよ!」

やっとサチがやって来た。

「きゃー、可愛いい!可愛いすぎる!」
「でしょう?可愛いよねえ!」
「いいなあ、可愛いなあ!いいなあ、いいなあ…」
「名前はなんていうんだろう…」

私はサチと二人で、このワンちゃんの写真を眺め続けたのだった。

引っ越し生活が続いた私達家族は、ずっと借家住まいなので、犬を飼いたくても飼うことができなかった。

でもね、半日だけ飼ったことがあるのですよ。

ちょうど今から1年前、まだ家族が寝静まっていた早朝のこと。中二階のキッチン外のウッドデッキ辺りで物音がするので様子を見に行ったら、まだ赤ちゃんのような小さな子犬がいたのです。くしゃくしゃの毛玉のような子犬だった。

どこから来たのか、きっと近所の家から逃げて来たのだろう、きっと飼い主は今頃心配しているに違いない、近所なら子犬を探して我が家の前も通るだろうと思い、子犬の写真を撮ってポスターを作り、家の前の郵便受けに貼った。夫は、近所の電柱にもポスターを貼って回ってくれた。

ところが、子犬の飼い主はなかなか現れなかった。私とサチはスーパーに行く用事があったので、子犬のことを夫に頼んで、急いでスーパーへ買い物に行った。子犬用のドッグフードもついでに買った。

大急ぎで家に戻ると、くしゃくしゃの毛玉のような子犬はまだ家にいた。子犬は、私達にすっかりなつき、抱っこすると顔をペロペロなめ、ボールで遊んだり、おしっこやウンチをもらしたり、水を入れた皿をひっくり返したり、とにかくもうどうしようもなく可愛いらしいのだった。

「おい」とか「ヘイ」とか「ドギー」とか呼んでいた私達は、名前がないのは不便だと思い「バディ」という名前をつけた。「仲間」とか「友達」という意味だ。

「このまま、飼い主が現れなかったらどうする?」
「マイクロチップとか埋め込んであるんじゃない?」
「こんなに小さい赤ちゃんだけど…、どこに埋め込むんだろうねえ。」
「まあ、飼い主が現れなかったら、私達が飼ってあげるしかないんじゃない?」

などと家族で話していた午後、ドアのベルが鳴った。

「ポスターを見たんですけど…」

まだ若そうなカップルだった。

「ワンちゃんですね?ええ、ええ、こちらでお預かりしていますよ。どうぞお入りください。」

二人を居間に通すと、バディはソファに寝転んで映画を見ていた夫の横に寝そべってくつろいでいた。女性は、バディを「ペッパー」と呼び、抱き上げて涙を流した。飼い始めてまだ1週間しかたっていない生後3ヶ月の子犬だとのことだった。

二人は私達に心からお礼を繰り返し述べ、バディを抱いて帰っていった。

たったの半日一緒にいただけなのに、バディがいなくなって私達は胸がキュンと痛かった。

「はあ……。」
今思い出しても、ちょっと涙が出る。


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2011年12月27日

元旦は猛暑の予報

蒸し暑かったクリスマス。夕方になって、義母宅を出てリングウッドの我が家へ向かう私達の前には、真っ黒な巨大雲が広がり稲妻が走っていた。

義母の家があるヒールズビルという町から西に向かっていたわけだから、それはメルボルンの方角。

私達家族は、戦々恐々としながらその真っ黒の巨大雲に向かって車を走らせた。

リングウッドの我が家へ着く頃には、猛烈な土砂降りとなっており、住んでいる家のヘンテコな作りのためにいつも道路に車を止めている私達は、ずぶぬれになって家にたどり着いたのだった。

「ひどい夕立だなあ」と言っていた私達はラッキーだった。リングウッドは、土砂降りの雨が降っただけだったのだから。

メルボルンの郊外では、この夕方の嵐で大きな被害が出た地域がたくさんあった。竜巻で屋根が飛ばされ、大木がなぎ倒され、ゴルフボールよりも大きい雹が降って車はデコボコに、窓ガラスは割れ、家や車が水に浸かったり流されたりと、もうとんでもないクリスマスの嵐であったのだ。


さあて、じゃあ大晦日や正月の天気はどうなっているのだろうと、天気予報サイトをチェックしてみた。涼しいようなら、今年は岡山風の「ブリが入ったお雑煮」を作ろうかと思っていたのだ。

大晦日の天気は快晴32度。

元旦は晴れ36度。もしかしたら熱帯夜となるかもしれない。

……。

やっぱり今年も「ブリが入ったお雑煮」は、パスだな…。


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2011年12月26日

ボクシング・デーとドリア

クリスマスの翌日26日は「ボクシング・デー」という祝日である。手にグローブをはめて殴り合うボクシングとは関係がない。

「ボクシング・デー」とは、箱(ボックス)を開ける日である。

Wikipedia によると「元々は、教会が貧しい人たちのために寄付を募ったクリスマスプレゼントの箱を開ける日であったことから "Boxing Day" と呼ばれる」とのことだ。また、この日は、クリスマスも仕事をしなければならなかった英国上流家庭の使用人達に、クリスマスの翌日、家族と過ごさせるための休日であったのだそうだ。この日は、主人が使用人達に箱に贈り物を入れて彼らに配った。

使用人はいなくても、クリスマスにカードやプレゼントを届けてくれた郵便配達員に「ありがとうございました」との感謝の意を込めて26日に箱入りのプレゼントをする習慣もある。

しかし、現在のオーストラリアでは、こうした習慣はもう存在しないと断言しても良い。はっきり言って、ボクシング・デーは「バーゲンセール」の始まる日、これに尽きる。

ボクシング・デーの「バーゲンセール」の様子は、毎年ニュースなるほど凄まじいものがある。超特価の薄型テレビだとか洗濯機だとか、客寄せのための目玉商品を狙って、早朝よりバーゲン狙いの買い物客が押し寄せる。

先着1名様とか3名様限り、などという場合が恐ろしい。我先にと、他人を押し倒して突進する買い物客の浅ましい姿は毎年ニュースで報道されるが、死者が出た年もあるのですよ。

私達家族は、そんなにまでしてバーゲン商品を買いたいとも思わないし、第一今は買い物をするゆとりも無いので、今日はのんびり家で過ごすことにした。

私は、義母がドギーバックにして持ち帰らせてくれた大量のシーフードをなんとか家族に美味しく食べさせようと思い、生牡蠣はやはり牡蠣フライにしてみた。


トンカツソースをかけて子供達に勧めたところ、昨日生牡蠣を食べて吐きそうになった娘のサチはパクパクと食べて「生よりはマシ」と言った。息子のカイは、かなり躊躇していたがおそるおそる一つ口に入れた。「おお、なかなかいけるじゃん」と言ってもう一つ食べた。

牡蠣フライはうまくいった。

さて、エビとロブスターはどうしようか…と考えながら冷蔵庫を開けると、冷たくなったご飯とタマネギ半個と4センチほどのニンジンが転がっていた。冷ご飯を見て「ドリア」を作ることにした。

手早くタマネギのみじん切りをバターで炒めて、冷ご飯とパセリを投入。ニンジンは小さく切るのが面倒くさかったのですり下ろして加えた。だから炒めたご飯はまっ黄色になった。

これをベイキングディッシュに入れ、残り物のエビとロブスターを上に並べ、ブロッコリをゆでてこれも並べ、フリーザーに少し残っていた冷凍グリーンピースとコーンをばらまき、ホワイトソースをかけて、すり下ろしたパルメザンチーズをたっぷりふりかけて、焼くこと20分。

昨日の残り物エビ&ロブスターは、このように変身しました。


あっという間に全部完食。大変美味しかったです。まあ美味しくって当たり前だよねえ、このドリア。ロブスター入りよ!


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2011年12月25日

クリスマスとシーフード

昨晩は、かなり激しい雷雨となったが、今朝は雨は上がっていた。

雨は上がっていたが湿度が高く、これで気温が上がったら、私にとって最悪のコンディションになると思うと、暑いキッチンでローストディナーの準備というのが思いやられた。

ところが、夫の話によると、義母はローストの予定を変更し、今日はシーフードのディナーになると言う。昨日の早朝、メルボルンのヴィクトリアマーケットまで新鮮なシーフードの買い出しに行ったらしいと言う。

やれ、助かったと心底ほっとした。

義母の家に着いたのは午前11時頃。

「ハッピークリスマス!
今日のクリスマスは私達6人だけよ!
私は何にもしなくても良いことになっているのよぉ!
なんて素晴らしいのでしょうねえ。」

「???」
何のことを言っているのか分からなかったが、次第に事情が飲み込めて来た。

シーフードやアンティパスト用の美味しいものをたっぷり買い込んでおいたので、彼女はお料理をしなくて良いということを喜んでいるのだ。後は私達家族が盛りつけをしなさいと言う。食べ物は何も準備はできていなかった。買って来た状態のまま冷蔵庫の中に詰め込まれていた。

家に着くなり、やっぱりキッッチンで働くことになるという状況については何も変わりはなかったのだ。まずワインでも飲みながらゆっくりおしゃべりということには決してならない。

キッチンはオーブンを使っていない分だけ暑さはひどくなかったが、やっぱりクリスマスプディングは鍋の中で湯気を上げていた。

義母は長年学校の先生をしていたから、今でも何事につけても「指導」せずにはいられない。これをこの皿に盛りつけろ、スモークサーモンはこのように処理しろ、ハムはこのように切れ、アスパラガスはこのように乗せろ。矢継ぎ早に「指導」が飛んでくる。私達は「指導」された通りにアンティパストを盛りつけた。

アンティパストの大皿は、すぐにテーブルへ運ばれ、クリスマスディナーは12時前から始まった。


最近、毎日のようにご馳走を食べ続けているから、空腹になる暇がない。このアンティパストは美味しかった。とても美味しいスパークリングワインも用意してくれていて、私も夫もすぐに満腹となった。

「これで満腹というのは困るわよ。これからメインコースなのに!」
「メインコースは、すぐには無理よ」と、私達は主張したが、義母はすぐにメインコースの準備に取りかかった。

「ヒロコ、仕事ですよぉ!」とキッチンから呼ぶ声がする。
行ってみると、冷蔵庫から紙包みをいくつも取り出していた。それらは、ヴィクトリアマーケットで買って来たホタテ貝やイカやエビなどであった。

義母は、今日はお休みのはずで、実際に料理や盛りつけなどの仕事は私達がしなくてはならないのだが、彼女は自分が希望するペースで希望するように私達に働いてほしいので、お酒も入ってキビキビと働かない私達への「指導」は厳しくなっていく。

娘のサチには、ポテトサラダを作れと言う。
男達は、主に運び役。指示通りに物を運んでゆく。

私にはホタテとイカを焼けと言う。
「味付けはどうするの?」
「ただ焼くだけで良いのよ。味が欲しい人は塩こしょうをふりかけて食べればいいじゃない?」
「ええっ、そんな…。イカはせめて下味を付けたら?」
「下味?どのくらい時間がかかる?」
「すでにスライスしてあるイカだから、10分も漬けとけば良いと思うけど。」

私の提案した味付けを許可してくれたので、私はニンニク、ショウガ、唐辛子、醤油、オリーブオイルの漬け汁を作ってイカを漬けた。この家には酒やみりんは無いので、ワインでも入れようとしたが、これは却下。

ホタテはただ焼けという強い「指導」であったから、塩こしょうでグリルしようとフライパンを熱くして焼き始めると、

「オーノー、それは熱すぎよ!そんな強火で焼いてはダメ!もっと優しく弱火で焼かなければ!」
そう言って義母は、横から火を弱めた。こんな弱火にしたら汁が出てベチョベチョになるぞ!と思ったら、やっぱり思った通りホタテは香ばしく焼けるわけも無く、びしょびしょに汁が出てホタテの汁煮状態に。

義母は、そのホタテをすくい取って皿に乗せ、フライパンにたまっている大量のホタテから出た汁をジャッと流しに捨てた!

次は、イカ。今度は私流にやるぞ!と決めて、フライパンを熱していると、彼女は全てのメインコースをテーブルに運び終わらせ、後はイカを待つだけだとプレッシャーをかけてくる。

なぜ、そんなに急ぐのか?
みんなお腹がいっぱいでまだメインコースは食べられないと言っているのに…。

急げ、急げ、とせかされつつイカを焼いた。美味しそうなおいがしていた。火の前に立ってイカやホタテを焼くのはとにかく暑かったし、汗がダラダラ流れるのを耐えながらのクリスマス料理。ローストの方がまだましである。

イカが焼き上がって、皿に乗せてテーブルに運んでいくと、もうみんな食べ始めていた。

娘のサチがひどく深刻な顔をしていた。サチは義母の強い「励まし」を受け、生まれて初めて生牡蠣を食べたところだったのだ。「吐きそうだ…」と言った。



山盛りのエビもロブスターも、イカ以外の全ては味付けがされていない。ただ、塩水でゆでただけ。もちろん、牡蠣は生。

「味付けなどしなくても良いのよ。ロブスターの味、ホタテの味、素材の味で良いのよ。」と義母は、みんなに食べろ食べろと勧める。

しかし、みんなお腹がいっぱいだから、とても食べられない。特に生牡蠣には、なかなか手を伸ばす者がいない。少なくとも我が家族は、生牡蠣はちょっと…。

せっかく、ヴィクトリアマーケットまで、あんなに朝早起きして買い出しに出かけ、こんなにたくさん買って来たのに、食べないなんて無責任だと、彼女の「指導」はどんどん厳しくなる。

そのうち、お皿に載っているものを確認し始めた。牡蠣を食べてみようとしない息子のカイには、何でも新しい食べ物に挑戦してみることは人生で大切なことであるとお説教まで始まった。

私は、かなり頑張ってロブスターを口に運んでいた。
「あっ、ヒロコ!ロブスターはね、その白い身のところを食べるのよ。黄色いのは食べてはダメ!」
「黄色いのって、この味噌のこと?」
「そう、それは食べないのよ。食べれるのは白い身のところと足の中の身ね。」
「何を言っているんですか!エビの味噌もカニの味噌も、これはとても美味しいものです。」

そう言ってロブスターの黄色い味噌をソースのようにして食べる私を見て、びっくりする義母。彼女は、シーフードを食べ慣れていないのだ。料理法も知らないことは明白だ。

山盛りのご馳走はあまり減らなかった。食べろ食べろと励まされ続けたが、食べられないものは食べられない。

「まあ、いいわ。ドギー・バッグ Doggy Bag (持ち帰り用の袋)にしてあげるから、あなた達持って帰りなさい。」

義母は、がっかりしていた。

デザートは、朝からゆで続けていたクリスマス・プディングである。この写真は撮り忘れてしまったので、参考資料として BBC の Good Food サイトに載っていた写真をお見せします。義母の姉が毎年作るクリスマスプディングは、これにそっくりです。


これに、ブランディーバター、カスタード、アイスクリームを添えて食べた。もうとても食べられないと思ったが、なんとか食べた。

私が作って持って行った「イチゴのババロア」は全く出番がなかった。私達家族4人と義母と義母のパートナーの6人しかいなかったのに、20人分くらいの食べ物があったのだから。

明日からしばらく何も食べなくても大丈夫な気がする。というか、胃が相当拡張してしまっていると思うので、プチ絶食でもして、胃を縮めるとともに休ませてやらなければ。

でも、ドギーバッグにしてもらって来た大量のシーフードを、このまま腐らせるのももったいない。生牡蠣は…、あのままでは誰も食べないであろうから、牡蠣フライにでもしてみるか。

ああ、しかし、贅沢なことだな、私達。
飢餓で死んでゆく人もいるっていうのに。


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2011年12月24日

食べて、飲んで、また食べて

今日は友人の家でクリスマスイブのバーベキュー。

何か作って持って行こうと思い、フルーツ入り牛乳寒天と巻き寿司を作った。作りながらつまみ食いが過ぎて、出かける前からお腹は結構いっぱいだった。

この友人宅には、大きなプールがある。子供達は、家を出る時にはすでに水着を着込んでおり、着くなりプールに飛び込んだ。

大人は、スパークリングワインやビールを飲みながらプールサイドでおしゃべりを始めた。お腹はいっぱいだったのに、ついつい巻き寿司に手が伸びる。

おしゃべりしながら、友人がバーベキューでエビと焼き鳥を焼き始めた。いいにおいがしてくるがお腹はいっぱい。それなのに、大皿に盛られた焼き鳥とエビがテーブルに置かれると、ついつい手が伸びる。暑かったし、スパークリングワインの方も飲み過ぎた。

そのうち、今度はメインディッシュのチキンとラム肉を焼き始めた友人。ラム肉の方が、もうとにかく良いにおい!美味しそうなポテトサラダとグリーンサラダとトマト&オニオンのサラダがテーブルに置かれ、さらにワインのボトルが開けられた。そこへ運ばれて来たチキンとラム肉。せっかく作ってくれた友人の手前、どの料理もお皿に取る。

どれも本当に美味しかった。特にラム肉が絶品であった。ついつい、2つ目のラム肉に手が伸びる。もう私のお腹ははち切れんばかりにパンパンである。

少しプールに入って泳いだりした後、友人はフルーツの盛り合わせを出してくれた。ワインのせいで喉が渇いていたせいもあって、またスイカやブドウをパクパク。(一体私のお腹はどうなっちゃっているの?)

夕方になって、子供達もプールから上がり、みんなが家の中に入って着替えた頃、私が作ったフルーツ入り牛乳寒天とアイスクリームとマンゴーのソルベが出て来た。

フルーツ入り牛乳寒天もなかなか美味しかったが、マンゴーのソルベがとにかく美味しくて、またまた食べ過ぎた。

10月末以来、一連の誕生日パーティーに始まって先日のクリスマス・イブイブ・パーティーまで、飲み食いする機会がずっと続いている。もっと自制心を働かせて、食べ過ぎ飲み過ぎに注意すべきであると自覚はしているけれど、自制するのは難しい。

さて、明日は義母の家でクリスマスディナーである。年末年始だけでなく、学校の夏休み期間である1月中は、毎年、友人知人からバーベキューへのお誘いが非常に多い。

体重増加は必至である。何か対策を立てなければ…。すでに、10月以来3キロも太ってしまっているのだ。


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2011年12月23日

うだる暑さのクリスマス

北半球にお住まいの皆様、7月下旬頃のうだるような暑い日を思い描いてください。

空は青く晴れわたり、ギラギラとうっとうしいほどにまぶしいお日さまが、あなたの肌をジリジリと焼き焦がす、クソ暑い真夏の日の風景を思い描けましたか?

はい、それではその風景の中に、白いトリミングのある赤い服を着て、赤い帽子をかぶり、白いヒゲをたくわえて、眼鏡をかけ、黒い長靴を履いたサンタクロースのおじいさんを加えてください。

暑さのあまり卒倒しそうになりながら、買い物客に笑顔を振りまこうと頑張るおじいさんの顔は真っ赤です。

お仕事とはいえ、大変なハードワーク。暑がりの私には、到底真似はできません。本当に頭が下がります。

ショッピングセンターで子供達をお膝に乗せて、記念写真を一緒に撮ってくれる赤い服のおじいさんは、まだ恵まれていますね。少なくとも、ショッピングセンターは冷房が効いていますからね。

明日のクリスマスイブは、さらに気温が上がると予想されています。クリスマスの夜も、メルボルンは相当な暑さになりそうです。有害紫外線のレベルも Extreme と最高レベルが続いています。

サンタクロースさんもトナカイさんも、水分の補給には十分に注意して、熱中症の予防を怠らないようにお願いしたいものです。

雪だるまも数分でとけてしまう暑さのメルボルンですが、やっぱりソリでおいでになるのでしょうね。ご苦労様です。

ショッピングセンターでは、「ウィンターワンダーランド」とか「ジングルベル」とか涼しそうな音楽がかかっています。雪のディスプレイとか雪だるまの飾りとか、涼しそうなデコレーションでいっぱいです。

とにかくクソ暑いので、みんなショートパンツやサマードレス姿ですが、こんな私達と雪のクリスマスとの違和感は、不思議なことに全くありません。

オーストラリアのお母さん達は、クリスマスには暑くても頑張ってローストを焼くでしょう。オーブンのせいで家の中が増々暑くなるのですけどね。

暑いのが苦手な私は、義母の家のキッチンで、オーブンの前に立ち、クリスマスプディングが鍋の中で湯気を上げている前で、ご馳走の準備をお手伝いしなくてはならないのですから、今からもう熱中症で倒れそうな気分なんですよ。

気温が40度近い猛暑の正月にお雑煮を作って食べたことがありますけど、やはりね、お雑煮は冬の食べ物なんです。ローストのご馳走もね、クソ暑い夏の日に食べたくなるものではありませんけど、クリスマスのご馳走はこれって決めちゃっているんだから、私も頑張るしかないんです。

明日は、友人宅でクリスマスイブのバーベキューです。友人宅にはプールがあるので、泳いだり食べたりと、プールサイドでのクリスマスイブです。こっちの方が、メルボルンのクソ暑いクリスマスには、合っていますよね。

うだる暑さのクリスマス、ちょっと経験してみたい?


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ねっとり卵黄ご飯

アーモンドブレッドを作ると残ってしまう卵黄を、簡単かつ「こんなに美味しくて申し訳ない」くらい美味しく食べる方法はこれだ!


みりん1&しょうゆ1に漬けておくだけ。みりんが手に入らなければ、しょうゆだけでも大丈夫。

冷蔵庫で一晩漬けておくと、卵黄が半固形状にねっとりと固まったようになる。

これを熱々ご飯にのせ、のり、ねぎ、いりごま、じゃこなど、手に入るお好きな材料をちりばめて、みりん&しょうゆの漬け汁をふりかけて食べる。



美味しそうでしょう?この「ねっとり卵黄ご飯」は普通の卵かけご飯の数倍美味しい。

ちょっと小腹がすいたときのおやつにも最適。

余った卵黄にお困りの方、ぜひお試しください。


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2011年12月22日

アーモンドブレッド

親しい友人のシェリーが毎年クリスマスプレゼントにくれる「アーモンドブレッド」には、ドレンチェリーと何か秘密のスパイスが入っている。

レシピを教えて欲しいと頼んでも教えてくれない。お菓子作りに使われるスパイスの種類は、そんなに多くはないから分かりそうなものだし、食べてみると何かスパイスの味はするのだが、それが何なのか…、残念ながら私には分からない。

だが、いつかカルダモンがどうのこうのと言っていたのを覚えている。秘密のスパイスはカルダモンかもしれない。

シェリーが作るドレンチェリー入りアーモンドブレッドはもちろん美味しいのだが、私が作る「超簡単アーモンドブレッド」は、正統派の伝統的シンプルレシピであっても大変美味しいのでおすすめです。


アーモンドブレッドを作るには卵白のみを使うので、卵黄が残る。以前は、この卵黄を使って、カスタードを作ったり、カスタードプディングを作ったり、マヨネーズ(美味しくできたためしがない)を作ったりしていた。

しかし、最近はもっぱらある物を作っている。これがまた、超簡単(またか!)かつ「こんなに美味しくて申し訳ない」くらい美味しい!

特に、海外生活者の皆様、この卵黄の使い方は知っておくべきですよ。でも、それはまた明日のお楽しみ。


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2011年12月20日

クリスマス・イブイブ

クリスマス・イブイブ。文字の打ち込みエラーではありません。イブのイブという意味です。友人のシェリーが勝手につくった言葉かもしれない。

私の親しい友人であるシェリーにとって、クリスマスは一年の最大イベントであって、クリスマスに傾ける彼女の情熱…、それはもう尋常ではない。

クリスマスが好きで好きでたまらないシェリーが、このイベントに注ぎ込む努力と時間とお金は、はっきりいって想像を絶する。

彼女のクリスマスは、11月末に始まる。(12月まで待っていられないのである。)

シェリーは、イルミネーションで家を飾り立てるような野暮ったいことはしない。それよりも、彼女はキャンディケーンのような赤白ストライプの花を玄関周りに植えたりする。

家の中の飾りは、もう床から天井までがクリスマス一色となる。特大クリスマスツリーは非常に見応えがあって、ここにはイルミネーション飾りがいくつも付けられる。光るトナカイなども添えられて、クリスマスツリーの周りはおとぎの国のようである。

玄関ドアのリース飾りももちろんのこと、全ての部屋のドアにもデコレーションが付けられ、壁も手すりも、もう何もかもクリスマス飾りだらけとなる。

この時期にだけ登場するクリスマスの置物も毎年増えてきている。キャンドルもキャンドルスタンドもこの時期はクリスマス仕様の特別なものに変わる。

シェリーは、家族や友達やちょっと知り合いにもプレゼントをあげたい。友人知人へのプレゼントは、毎年「アーモンドブレッド」と決めている。この「アーモンドブレッド」という食べ物は、作ってみると分かるが結構手間がかかる。彼女は、これを物置がいっぱいになるほど作る。何十キロも作る。くる日もくる日も、彼女のオーブンはフル稼働である。

毎年クリスマスイブ直前の水曜日の夜に、彼女は友人やご近所の皆さんを招待して盛大な「クリスマス・イブイブ・パーティー」を催す。今年は、本当のイブイブとはいかなかったが、昨晩そのパーティーに行って来た。

シェリーは、今年インテリアデザインの勉強を始めたのだが、その勉強の成果が見えるパーティーだった。家中をクリスマスのテーマで飾り立てているのに、とても調和がとれていて素敵だった。パーティーフードの盛りつけもセンスが光り、テーブルセッティングも見事で勉強になった。

私は、夫の具合が悪かったので、ちょっと顔見せ程度に行っただけですぐに家に帰ったのは残念だったが、帰り際に手渡されたプレゼントの手作りお菓子は、例年と違って大きな紙袋入りだった。

今年は、「アーモンドブレッド」だけではなくて、「ラムボール」「ミニ・ジンジャーブレッドマン」「クリスマスカップケーキ」「ロッキーロード」「ショートブレッド」などの手作りお菓子が追加されていた。もちろん全部手作り。


「いやあ、良くやるわ…」と私など思ってしまうが、彼女は全部楽しんでやっているのだ。とにかくエネルギッシュで、何をするにも全力を傾けて取り組むし、どうせやるなら楽しく!という姿勢が素晴らしい。

一年中楽しく全力疾走してますって感じの彼女。一年中お疲れぎみの私には、なんだか羨ましいほど輝いて見える。

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家主が街にやってくる

私達家族が住んでいる借家の家主は、10年以上も前に夫婦でイタリアへ旅行し、イタリアがあまりに気に入ったため、そのままイタリアに居着いてしまったのだそうな。

オーストラリアへ戻り、家を片付け、ビザを申請し、移住の準備をして…、という通常のプロセスを踏んでいないらしいが、「そのまま居着く」というのを一体どのように実現したのか、ビザとか滞在許可とかはどのようにクリアしたのかと不思議だ。

とにかく、住んでいたこの家は、メルボルンにいる子供家族に頼んで家具や持ち物一切をこの家の物置スペース(なんと一階部分の半分を占める)に運び込んでもらい、以来この家を借家として貸し続けているのだ。

もちろん不動産屋が管理を代行しているが、家主は不動産屋を信用していないのか、毎年クリスマスにオーストラリアに戻ってくる度に、家をチェックしに来る。

不動産屋の定期インスペクション(検査)はもちろんしているのだが、担当者がいつもたくさん写真を撮っているところを見ると、それらの写真はイタリアにいる家主に送っているわけで、家主が難しい人であることは見当がつく。ふつう不動産屋はインスペクションの度に細かく写真を撮ったりはしない。

この家主、家のメンテナンスも私達にはさせてくれない。ちょっとどこかを直す、木の枝を切る、そういうことにもいちいち許可が必要で、私が早くこの「玄関がガレージからむちゃくちゃ遠くて、玄関からキッチンがまたむちゃくちゃ遠くて、家の周りを覆い隠す巨木化した庭木のせいで薄暗い、奇妙奇天烈な間取りの家」から引っ越したいと切望する理由もこの不自由さが大きい。
(玄関のことはこちらでお読みください。「グーグルストリートビュー」

先週、不動産屋の担当者が定期インスペクションに来たばかりなのに、今日その担当者からメールが来た。家主がクリスマス前後にメルボルンに滞在しているのでインスペクションをしたいと言っているとのことであった。クリスマス前の二日とクリスマス後の二日と、これらの中から都合の良い日を選べとのことだった。

うっへー、また今年のクリスマスも来るのかぁ…。

去年は家主の娘も一緒にやって来て、なめ回すように家の内外いろいろ見て行った。今年は、特にタイルの張り替えをしてもらった2階のバスルームを見たいのだそうだ。

2階のバスルームは子供達だけが使っている。もうずいぶん私はそのバスルームに入ったことも無かったので、久しぶりに様子を見に行ってみた。

ひぇぇぇー!!!
(言葉で表現すること不可能!)

壮絶!凄絶!怒りさえ感じる凄まじい激烈な汚れぶり!

家主のインスペクションを理由に大掃除させます。


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ブログランキング

ブログランキングなどにこだわる私の気が知れぬ、などと心無いことを言う友人の知り合いがおりました。毎回、記事の下にのせている「人気ブログランキング」というリンクのことを批判しておられるようです。 

友人の知り合い様、ここに釈明させて頂きますが、私はブログランキングで上位に上がることが目的でブログを書いているのではありません。 書きたいから書いているのです。 

そして、書くからには一人でも多くの人に読んでもらいたいと思うのは人の世の常。

インターネット上に星の数ほど存在するブログの中から、世の中の人々に見つけ出してもらい、読んでもらうためには、見つけてもらいやすくする必要があるわけですよ。

インターネットでウェブ検索したときに、上位の検索結果にリストされると見つけてもらいやすいでしょう?

ブログは、多くの人が検索エンジンではなくて、ブログランキングやブログ専門の検索サイトで探すのです。

そうしたランキングサイトや検索サイトで見つけてもらいやすくするためには、ランキングに参加してランキング位を上げることが効果的なわけです。

ランキング位を上げるためには、私のブログからそれらのサイトに移動してもらうことが必要なのですよ。あなたが、下のリンクをクリックしてそれらのサイトに移動してくださることによりポイントが入り、ポイントの数に応じてランキングが決まるという仕組みなのです。

 「ランキングをあげたい」というのは、すなわち「もっと多くの人に私のブログを読んでもらえるチャンスを増やしたい」というのと表裏一体であるのです。 

そこのところをご理解のうえでのご批判ならば、「夏虫、氷を疑う」とでも言わせてもらうか…。


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2011年12月19日

めんつゆ

夏は、冷蔵庫に欠かせないのが麦茶とめんつゆ。

麦茶は、どういうわけか、夏が近づいてくると飲みたくなってくる。英語でクレイヴィング craving という言葉がある。何か特定のものが欲しくて(食べたくて)たまらなくなることをいうのだが、まさに夏場の麦茶は私にとってクレイヴィングを感じる飲み物だ。

めんつゆ、これはやはり夏は冷たい麺類を食べたくなるし、いつでも冷蔵庫に冷たいめんつゆがあれば、お腹がすいた子供達が自分でそうめんなり蕎麦なりをゆでておやつに食べてくれるので、大変重宝する。料理にも使えるしね。

麦茶は、いつもお世話になっている、例のたった4日だけ働いて腰痛のためやめざるを得なかった日本食材店「すずらん」で買ってくるが、めんつゆ…これがちょっと問題。市販のめんつゆが、どうも私の口に合わないからだ。

そこでどうするかというと、もちろん自分で作る。うどんのつゆは「削り節」で作りたいし、そうめんのつゆは「いりこ」で作りたい。本当のところはね。

しかし、削り節といりこが常にパントリーにあるわけではないし、どちらも結構な値段がするのだ。でも、めんつゆはとにかく冷蔵庫に常備しておきたいので、私は良く「ほんだし」を使ってチャチャッと簡単に作る。

私達家族は、リングウッドに引っ越してくる前はヒールズビルという町に住んでいた。この町に住んでいた頃は、日本食材を買いにメルボルンまで出て行くのははっきり言って一日がかりの大仕事って感じであったから、和食はとにかく手に入りやすいもので工夫して作るしかなかった。

この「ほんだし」で作る簡単めんつゆの味は侮れない。本当に簡単で猫でも作れるのだが、十分美味しく、市販のめんつゆよりは好きだ。

この簡単めんつゆのレシピを紹介します。興味のある方は作ってみてください。特に日本食材が手に入りにくいところにお住まいの方には、ありがたいレシピかもしれません。

材料
水 2 カップ(250mlカップ使用)
ほんだし 小さじ1 強
みりん 1/3 カップ
しょうゆ 1/2 カップ

作り方
材料を全部なべに入れてしばらく沸騰させる。みりんのアルコール分が飛んで、しょうゆの味が丸くなる。

オーストラリアでは、しょうゆとみりんはスーパーで手に入るので、問題はインスタントだしということになる。これすら手に入らない場合、もちろん鰹節も削り節もいりこも無いという場合は、どうやってめんつゆを作ればいいのだろう。そういうところにお住まいの方は、それこそクレイヴィング craving を感じておられることでしょうね。ご同情申し上げます。


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2011年12月18日

ロシアから私のブログを

いつも私のブログを読みに訪れてくれる人が、日本とオーストラリアに何人かいる。そのほとんどは家族や友人。それから、アラブ首長国連邦に一人いる。それは義妹のリアナ。Google の翻訳機能を使いながら日本語で書かれた記事を読んでくれている。(非常に苦労しているが…。)

もちろんそれ以外の国々からも、どうやって見つけてくださるのか、私のブログを読みに訪れてくださる方々がいる。

私が利用している Google の Blogger では、国別の参加者数の統計を見ることができるのだが、ここに表示される国名のリストには驚かされると同時に、インターネットの素晴らしさを実感するのだ。

どの国から何ページのアクセスがあったかが表示される。

南北アメリカ大陸、アジアそしてヨーロッパの様々な国にお住まいの方が、私のブログを読んでくださっている。

この中で、コンスタントに毎週十数ページのページビューが記録されていて、おそらく同じ人がいつも読んでくださっているのではないかと思っているのがロシア。

統計ページに表示される「ロシア」という文字を見るたびに、私の想いはロシアへと飛んでゆく。

きっと今は寒さが厳しいのだろうな、どんな街に住んでいるんだろう、何をしている人だろう、どんな生活をしているのだろう…と、私はそのロシアの人やロシアの街のことを想う。

今週は、ウクライナからもアクセスがあった。

こんな地の果てのような地球の南の端っこのメルボルンという街に住んでいて、ロシアもウクライナも行ってみたくても一生行くことはできないだろう。

私は、世界のいろいろな国に住む人たちと知り合いになって、異なる文化について学びたいし、異なる生活環境での人々の暮らしのこと、食べ物のことなど、なんでも知りたい。

だから、海外在住者のブログに興味があるのだけどね。

いつか、世界中に仲間ができて、みんなで日々の出来事を教え合えるフォーラムのようなサイトが作れたら、さぞ楽しいだろうなと思っている。

読みに来てくださった皆さん、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いしますね。


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2011年12月17日

春雨サラダ

今日のメルボルンは暑い。

12月は夏なのだから、夏らしい天気といえばそのとおりで、これが当たり前なのだ。やっと夏らしい天気になったぞと喜んで、ビーチや市民プールに繰り出す人もおそらく多いことだろうが、私は暑いのが苦手である。気温が30度を超えるような日は、エアコンのきいた涼しい部屋でゆっくりすごしたい。

今日は、食料品の買い物に行かなくてはならなかったのだが、いつも路上駐車している私のカローラは、このカンカン照りの夏の日差しの下、さぞや熱くなっていることだろうと思うと出かける気が失せた。

昨日、娘のサチの水着を買いにショッピングセンターに行ったのだから、ついでに買い物をしておくべきだったが、なにしろ私はくたくたに疲れていて早く家に帰りたかったのだ。

買い物に出かけたくない…。今日は、家にあるもので何か作って食べればいいわと思い、空っぽになりつつあるパントリーを眺めていたら、緑豆春雨を発見!

「春雨サラダを作ろう!」と、ひらめいた。

夫も息子のカイも友人宅のリフォームの手伝いに行っているので、家にいるのは私と娘のサチだけ。二人のランチに春雨サラダはもってこいである。

冷蔵庫には、きゅうりが半分と、にんじん数本、ハムのかたまり、卵が数個、レタスや赤ピーマンも少し残っている。

「よおっしぃ、だいじょうぶ、春雨サラダ作れるよ!」

直ちに春雨をゆで、その横で薄焼き卵を焼き、きゅうりとにんじんをスライサーで細切りにし、わずかに残っていた赤ピーマンもついでに細切りにして、ハムも薄焼き卵もまた細切りに、やわらかくなった春雨を水で冷やして、後はタレを作るだけ。ここまで8分。

タレは、大まかに砂糖1、酢1、しょうゆ2、ごま油1、そしてからしをちょっとと炒りゴマをたっぷり。先ほどゆでた春雨と細切りにした材料とタレをジャッジャッと混ぜ合わせたらできあがり。

我ながらすごいですねえ、まさに10分間クッキングです。

ボウルいっぱいに出来上がった、ごま油と酢のにおいが食欲を誘う「春雨サラダ」、サチと二人で完食しました。作ろうと決めてから作って食べ終わるまで怒涛の15分間。

なので、写真は…撮っていません。

いやあ、おいしかったぁ!夏の日のランチにおススメですよ。


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2011年12月16日

新しい水着

娘のサチは、明日の土曜日、友達の家にバースデーパーティーに行くことになっている。「スリープオーバー」といって泊りがけのパーティーである。そのお友達の家にはスイミングプールがある。明日は夏らしく気温は30度を超えそうで、新しい水着が必要だと言う。

現在13歳、育ち盛りのサチは、すぐに服が小さくなって着れなくなる。昨年の夏に買った水着は、子供用のサイズ14(14歳サイズ)で、今は大人用のサイズ10を着ているのだから、その水着は全く入りもしない。どうしても今日のうちに新しい水着が必要だというので、夕方リングウッドの Eastland というショッピングセンターに買いに行った。

まず、一番たくさん水着を売っていると思われたデパート MYER へ行ってみた。

「あらあ、いっぱいあるじゃない。どれも素敵よ。」
「でも全部ビキニじゃない!ビキニはだめ!」

「ワンピースもあるよ。ほら、これなんかかわいいョ?」
「そんなの、ムリ!」

ビキニは絶対に嫌だと言う。かといってワンピースは、トイレに行くのに不便だからだめだと言う。上下が分かれていて、お腹を隠すというのが絶対条件であった。

ショッピングセンター内の水着を売っている店を全部見て回った。

(サチは何を買うにも好みがうるさい。靴1足買うにも、下着1つ買うにも、とにかく時間がかかる。買い物に行っても気に入ったものが見つからない場合がよくあって、結局何も買わないで家に帰ることもある。だが、今日は、買わずに家に帰るわけにはいかなかった。明日はどうしても水着が必要なのだから。)

運動不足の私は、こんなに凄まじい勢いで歩き回るとすぐに足に来る。1時間以上歩き回り、水着を探し続けて、もうクタクタであった。

結局 MYER に戻った。MYER の2階に、好みのデザインに近い物がいくつかあったからだった。

「これにするっ!」
おや、結構あっさり決めたな。よかった、よかったと思いながらも、いつものように何でも確認せずにはいられない私。

「サイズはそれでいいのね。」
「ええっと、サイズは…16!」
「ほらあ、サイズをちゃんと見なくちゃだめでしょう?16じゃあ大きすぎるでしょう?」

あーあ、いつもこれなんだから。

残念ながら、サチが「これにする!」と言ったデザインはサイズ10だけが売り切れていた。

さあて、それからがまた大変なのだった。気に入った水着がないのだから、これでもいいかと思えるデザインをいくつかピックアップして試着室へ。やっとのことで二つのデザインに絞られた。

「さあ、どっちにする?」
「ええ、分からない。お母さん、どっちがいい?」

「ええっ、お母さんが決めるの?じゃあこれ!」
「うーん…でもぉ…こっちのもいいしぃ…」
「じゃあそっち!」
「でもぉ、そっちのもねえ…」
結局、サチは決められないのだった。

「はい、じゃあこっちの白黒のストライプのやつね。こっちにしなさい。こっちのほうがスタイリッシュだよ。」

こうして、2時間にわたった水着選びは、私の一言によって決着しました。いつもながら、サチの買い物に付き合うには、歩きやすい靴と忍耐が必要です。あー疲れた。


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2011年12月15日

プレゼンテーション・ナイト

昨晩は、子供達が通うハイスクールの「プレゼンテーション・ナイト」というイベントがあった。この場合の「プレゼンテーション」とは発表とか授与とかいう意味で、年度末に学業で優秀な成績をおさめたとか、学校の活動において顕著な活躍をしたとか、そういった生徒を表彰するイベントである。

オーストラリアのハイスクールでは、非常に多種多様な科目が教えられているが、そうした科目の成績優秀者だけでなく、合唱クラブやスクール・オーケストラ等での音楽活動、スポーツ、リーダーシップ、討論、演劇など、様々な分野での生徒の活躍や努力を認めて表彰するというわけだ。

各学年のトップ生徒二人が受賞する「フィデリス賞」の受賞者だけは、この日まで秘密にされていて、この夜のイベントで発表ということなのだが、それ以外の賞の受賞者と家族にはイベントへの招待状が届く。

なんと今年は、ウチの子供達カイとサチの両方に招待状が来た。いくつかの科目で優秀な成績をおさめた「パーソナル・アチーブメント賞」というのを受賞するとのことであった。

しかし、娘のサチはどうしても出席したくないと言う。ステージに上がって賞状をもらうだけのことなのに、行きたくないと言いはった。娘の気持ちは理解しがたいものであったが、そんなに行きたくなければ行かなくても良いということにした。

息子のカイは出席を望んだので、夫と二人でカイが表彰されるのを見に行った。

「プレゼンテーション・ナイト」は、オーストラリア国歌の斉唱に続き、校長の長いスピーチで幕を開けた。各スカラーシップ受賞者の発表に続き、まず7年生の「パーソナル・アチーブメント賞」が発表された。ずらりと並んだ受賞者達。娘のサチはあの中に並んでいるはずだった。

次々と受賞者が発表されていく。学年が上がるにつれ受賞者の数は減るようだった。

いよいよ、カイの学年である9年生の「パーソナル・アチーブメント賞」の発表となった。5科目から6科目において優秀な成績をおさめた生徒の一人だった。家ではインターネットで日本のアニメを見ているかゲームをしている姿しか見たことが無い息子が、一体どの科目でどのような優秀な成績だったのか、不思議というか、こんなんで良いのかというか、何とも納得しがたい気持ちで私は見ていたが、ステージ上の息子は「???」という表情であった。他の受賞者達がにこやかに微笑む中でムッツリ顔のカイ。うれしそうにしないのがクールなのだ。

途中で生徒達の演奏やパフォーマンスなどもあり、スピーチもたくさんあって、3時間近いイベントがやっと終わった。会場の外で待っていると、カイが賞状を手にやっと出て来た。

「オレの賞状なくしたらしい」と言った。
「ええっ?」
「オレの賞状、無くしたんだと。こんなのを渡されて、なんじゃこりぁ?と思ったよ」と息子は言って、手にしていた賞状を見せてくれた。こう書かれていた。

受賞おめでとう。申し訳ないのですが、あなたの賞状は、現在一時的に行方不明になっています。でも、できるだけ早く送りますからね。どうか許してください…。 
Congratulations on your award. Unfortunately, your certificate has been temporarily misplaced. But we will send it to you as soon as possible. Please accept our apologies.......(原文)

夫と私が大笑いしたのは言うまでもない。


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2011年12月14日

さかな、さかな、さかなぁ〜

毎日の食事が、鶏肉、牛肉、豚肉メニューの繰り返しである。時にはラム肉料理も食卓に上るが、最近は滅多にない。子供達も夫もラム肉が大好物なのだが、値段が非常に高いのだ。私がオーストラリアに住み始めた頃には、肉類はおおむね安かったのに。まあ野菜も果物も当時は本当に安かったのだが…。

インフレのオーストラリアである。最近はもう何もかもが値上がりしており、家計の苦しい我が家であるから、家族4人がちゃんと毎日食べていくために、安い食材を美味しく工夫して料理するのが私の使命である。こういうチャレンジは結構好きで、毎食栄養を考えた美味しい物をちゃんと家族に食べさせております。

でも、子供達や夫が時にはラム肉が食べたくなるように、私は美味しい魚が食べたくなる。ところが、魚も非常に値段が高いから、魚屋やスーパーの鮮魚コーナーはいつも素通りしているのだ。

しかし、やっぱりどうしても今晩は魚が食べたいと思い、スーパーの鮮魚コーナーへ行ってみた。いつも利用しているコールズ Coles というスーパーである。

鮮魚コーナーはずいぶん小さくて、売られている魚も少ない上に魚臭い。魚臭いのは魚が新鮮でない証拠という思い込みがある私は、やはり魚は魚屋で買うべきだと思い、魚屋へ行ってみた。

こちらは種類も豊富なのだが、どの魚も皮を剥がれて三枚におろされ、でっかい半身の白っぽい姿で並んでおり、お店の若い女の子やおじさんにどの魚がどんな料理が向いているかとか、今日のおすすめの魚は何かとか、そんな話はできないのだった。

結構値段が安めで味や肉質がアジに似たトラバリという魚の半身を一切れとイカを買った。袋から取り出すと、イカはいかにも冷凍品を解凍した感じで泡立っている。「何だこの泡は!」そして、トラバリは色がくすんで、プリッとしていない。臭いは不思議と無いのだが、鮮度が低いのは明らかであった。

こりゃ、油で揚げるしかないなと思い、トラバリは衣をつけて揚げてピリ辛のポン酢ベースのソースをかけ、イカはかき揚げにした。ところが、食べてみると魚臭い。

私は、悲しかった。とっても…。美味しい魚が食べたかったのに!

魚臭いトラバリとイカをそれでも我慢してほおばりながら思った。新鮮な刺身(特にイカの刺身)が食べたい!金目鯛の煮付けとか、ブリの照り焼きとか、塩サバの焼いたのとか、美味しい魚が食べたい!

そうしたら、みなさん、先日の「怪物くん」の記憶のように、またも突然頭の中に稲妻の閃光のごとくよみがえってきたのが、ある歌です。

さかな、さかな、さかなぁ〜 魚を食べるとぉ〜
あたま、あたま、あたまぁ〜 頭が良くなるぅ〜

以前、家族で日本に住んでいた頃、どこのスーパーに行ってもこの歌がかかっていて、どこのスーパーでも鮮魚のコーナーには本当に新鮮な魚がいっぱい売られていた。美味しそうな刺身やカツオのたたきやいろんな魚の切り身や、貝やタコやエビやイカや、もうすでに美味しく甘辛に煮たのや焼いたのや、「ああ、日本のスーパーは良いよなあ!」

さかな、さかな、さかなぁ〜 魚が食べたいぃ〜


ちなみに、メルボルンでも中心部に近い郊外ならば、新鮮で美味しい魚を売っている日系の魚屋がいくつかあって、美味しい魚は手に入ります。お刺身も。

ところが、私が住んでいるリングウッドからは結構な距離があるんです。

でも、10月に4日だけ働いた日本食材店の「すずらん」なら、片道30分くらいで行けるし、あそこなら少なくとも新鮮なマグロとブリとサケが手に入る。近いうちに行ってみるか。


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2011年12月12日

夏なのに…

12月は暦の上では夏なのだが、今年は12月に入ってから涼しいというかちょっと肌寒い日が続いた。冬の間ベッドカバーとして使っていた手編みのブランケットを、もうそろそろ洗って片付けようかなと思いながら部屋の隅に放りっぱなしにしていて良かった。

掛け布団一枚では寒くてとても眠れない夜が二晩ほどあった。ブランケットを掛けて布団にくるまって寝た。朝は暖房をつけようかと思うほどで、子供達は冬用ジャケットを着用して学校へ行った。

そうこうしているうちに、今度は急激に気温が上がって真夏日が続いた。花粉症のために窓を開けられない我が家は、朝晩の涼しい時に窓を開けて家の中を冷やすなどということができないので湿気と熱気がたまり、エアコンをつけ続けるしかないのだった。

今度は暑くて眠れず、ブランンケットなど取っ払って、扇風機が必要な夜がまた二晩ほど続いた。

と思ったら、今朝は気温8℃であります。全く、本当に、体がついていきません。息子のカイはついに風邪でダウン。私も喉が痛くなっています。

ジェットコースターのように、激しく、ころっころ天気が変わる!いや、天気が変わるというよりも、気温が変わると言った方が良いだろうか。それがメルボルンの気候の特徴と分かっているが、身体が音を上げることもある。

家族や友人がメルボルンに遊びにくる時には、必ず「そっちの天気はどうなの?持って行く服をどうしたらいいかと思って。」とたずねられる。季節が日本とは逆で、年中温暖なクイーンズランドとは違って比較的四季がはっきりしているメルボルンであるから、日本が冬なら夏服を、日本が夏なら冬服を持参すれば良いと思ったあなたは、間違っている。

確かに、メルボルンの季節は日本とは逆で、クイーンズランドなど北の地域に比べれば四季がはっきりしていると言えるかもしれない。しかし、日本やヨーロッパ、北米など北半球の多くの国々の四季とはちょっと違う。単純に季節が逆とは言えないのだ。

大きな流れとしては、冬があり、春が来て夏が来る。そして秋が来て、また冬。同じ季節の移り変わり方ではある。何が違うといって、それは、夏であっても暖房が必要な寒い日があるし、冬でも半袖になりたい日もある。気温が、とにかくジェットコースターのように高くなったり低くなったり、ころっころ変わるということだ。

メルボルンの位置を地図で見ていただきたい。オーストラリア大陸の東側の南の端っこだ。北に広がる国土は、北に行けば行くほど気温が上がり、北部は熱帯に入る。内陸部のほとんどは砂漠で夏場は灼熱となる乾燥地帯。逆に、南に目を向ければ、タスマニア島の向こうにあるのは南極大陸。間を隔てるのは冷たい海である。 この地理的位置がメルボルンの気候に大きく影響しているのだ。

気圧の具合で流れ込んでくる風の向きが変わる。北から風が吹けば暑くなり、南から吹けば寒くなる。風向きが急に変わると、北風と南風の温度差が激しいために、突然気温が上がったり下がったりするのだ。 

メルボルンに住むようになって、「衣がえ」という習慣は失った。春が来て初夏を感じる頃、冬服を片付けてタンスの中身を夏物に替えるということは、してはいけない。ここでは、一年中夏服も冬服も必要だからだ。

また、用心しなければならないのは、一日のうちにそうした激しい気温変化が起こりうるということ。朝はよい天気で暖かいから半袖で出かけたら、午後になって天気が変わり冷たい南風が吹いて寒さに震えるとか、逆に長袖シャツにジャケットで出かけたら気温が上がって汗だくになり、脱ごうにも脱げない長袖シャツは袖を腕まくりするしか暑さに耐えるすべがない、なんてことがよくあるのだ。

だから、メルボルンでは天気予報に注目する必要がある。旅行者の方へのアドバイスは、重ね着がよろしいということ。暑くなっても寒くなっても対応できるようご注意ください。 

ちなみに、メルボルンの12月の気温について、一日うちの最高気温が一番高かった記録は43.7℃で一番低かった最高気温は10.4℃だそうだ。12月の一日の最低気温が一番高かったのは26.6℃で一番低かった最低気温はなんと4.4℃だそうだ。

夏ですよ、12月は…。


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2011年12月11日

怪物くんと記憶

時々、思いがけず古い記憶がよみがえってきて驚かされることがある。

昨日は、いつものように新聞サイトでニュースを読んだりした後、映画情報をチェックしようと映画.comというサイトを開いたところ、「怪物くん」という映画の紹介記事に目がとまった。

その映画の内容などには興味はない。ただその「怪物くん」という文字を見た瞬間の自分の脳ミソの反応ぶりに驚かされたのだ。突然フラシュバックしたのが幼い頃にみていたテレビマンガのタイトルロゴ。当時はまだモノクロだった。

そしてよみがえるテーマソング。
「オレは、怪物くんだ、(ウォー)怪物ランドの王子だぞ…」というやつだ。

まあ懐かしいことだと思い、歌の歌詞を思い出そうとすると、最初から最後までメロディーも歌詞も完璧に歌えるのだった。思い出そうとする努力も必要ないくらいに、脳ミソのどこかから湧き出るように歌が出てくるという感じだった。

その後、夕食の支度をしながら「怪物くん」の歌が頭から離れず、「すごいなあ、一体脳ミソのどこにどうやってこの歌が記憶されて保存され続けていたのだろう…」と不思議でたまらなかった。

そこで、子供の頃によく見ていたテレビマンガのことを考えた。大好きだったのはやはりなんと言っても「魔法使いサリー」と「リボンの騎士」だろう。「ジャングル大帝」も好きだった。芸術性も高く、オープニングの音楽は感動的だった。「巨人の星」「アタックNO.1」も良く見ていたな。そして一時期夢中になっていたのが「科学忍者隊ガッチャマン」だ。

そうしていろいろ思い出していると、映像と共に音楽が思い出される。「怪物くん」のテーマソングのように歌詞を全部完璧に覚えていて歌えるものもあるのだ。

記憶というのは、本当に不思議だ。色とか形とか臭いとか音とか、様々な物が複合的に記憶されていて、ある時、ふと嗅いだ臭いで何かを思い出したり、ある特定の音楽を聞いて必ず思い出す何かがあったりする。

以前、記憶というデータは脳の中だけではなく、身体の筋肉の中にも保存されるというドキュメンタリーを見たことがある。心臓移植手術を受けた人が数人インタビューされていたが、彼らは移植手術後に自分のものではない記憶を経験しているのだ。移植した心臓の筋肉に保存されていた他人の記憶をインポートしたということらしいが、増々不思議なことである。


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2011年12月10日

眠れる森の美女

昨夜は、娘のサチが何年もダンスを習いに通っていたダンススクールのコンサートに行った。通っていたと過去形になっているのは、今年の4月頃にやめてしまったから。リングウッド・バレエ・グループ Ringwood Ballet Group という学校で、メルボルン東郊外のこの地域では、ダンススクールとしてトップクラスの学校である。

この学校は、生徒の保護者代表と教師とからなるコミッティにより運営されている。多くの保護者が様々な活動をボランティアとして支えており、レッスン料は誰でも支払える程度の金額で、クラシックバレエ、ジャズ、タップ、キャラクター(民族舞踏)、ピラテスのクラスがある。

毎年年度末の12月には、コンサートを開いている。コンサートは木金土の3日間で5回も上演され、各コンサートの前半は学校の発表会的な部分、後半はコンサートの呼び物となるクラシックバレエの演目となっている。このバレエの演目の方が、もう大変大掛かりなショーなのであって、ただの学校の発表会ではないのだ。

今年の演目は「眠れる森の美女」。クラシックバレエ作品の最も有名なものの1つで、チャイコフスキー作曲の有名なバレエ音楽は、聴いたことがある人も多いと思う。あらすじはディズニー映画のおかげでよく知られているが、バレエ版のストーリーはディズニー映画とは少し違う。しかし、それをここで説明するのはやめておく。

このバレエの演目には、小学校の中学年レベル以上のほぼ全生徒が出演する。生徒数が多いので、演出する先生も大変だ。衣装の数も半端ではない。舞台装置や背景幕、小道具の製作も、日頃学校の運営に協力しているお母さん達だけではどうにもならないので、お父さん達も参加する。装置の運搬搬入も大仕事だ。

主役、準主役以外の役も、群舞ではない役については、希望者がオーディションを受け、その結果によってキャスティングされる。今年は、多くのシニアクラスの生徒が卒業したりやめたりしたので、ソロを踊る生徒の中にはサチと同じクラスだった中学1年生の子もいて、メンバーが大きく入れ替わった。

しかし、毎年毎年、悪役を勤め続ける人が一人いる。ジャニーン先生だ。

この人がすごい!誰にも真似できない悪ぶりがすごい。今年はもちろんオーロラ姫にのろいをかけるあの悪い魔女の役だ。ディズニー映画ではこんな魔女だった。


ジャニーン先生の魔女は、もっとエレガント。衣装も、色は黒だがゴージャスな感じ。だがしかし、キャラクター的にはもっと邪悪で陰険な、本当に心の底から悪者の中年魔女って感じ。

いつもながら見事な悪役ぶりであった。

ショーの終わりのカーテンコールでは、出演した生徒達に大歓声が送られたのだが、ジャニーン先生が登場すると「ブーーゥ!」「ブーーゥ!」と盛大なブーイングが浴びせられて、舞台の上のジャニーン先生がニヤリと口元をゆがめて客席をにらんだのが見事だった。

それにしても、「眠りの森の美女」は上演時間がとにかく長い。昨夜のコンサートは、7時に始まって終わったのは11時過ぎであった。生徒たちは、あの後、衣装を脱いで、着替えて、荷物をまとめて帰宅し、メイクアップをとって、顔を洗って、寝て、明日の昼のコンサートに備えなければならない。ウォーミングアップは楽屋入りの1時間は前だから、朝もゆっくりは寝ていられないのだ。昼のコンサートの後は、すぐに5回目となる土曜日夜の最後のコンサートがある。

生徒達は毎年10月から土日は練習につぶれ、親も衣装作りや背景作りに追われる。コンサートの週は、水曜日のドレスリハーサルから学校は休んでコンサートに集中する。生徒達も大変だが、サポートする親も大変なのだった。

サチはダンスをやめてしまったので、私はもうこの毎年恒例の大プロダクションに参加することもなくなった。苦労もなくなったが、楽しみもなくなった。

ちょっと残念。


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2011年12月8日

甘納豆入り抹茶ケーキ

先日作った甘納豆は、大変おいしくできたのだが、お茶碗に山盛り以上の量があって食べきれない。(本当は、簡単に食べきれますけど…。)そこで、本来の目的を思い出し、これでケーキを作ることにした。

抹茶カップケーキは作ったばかりなので、別なケーキを作りたいと思い、スポンジケーキを抹茶味にしてみることにした。カップケーキの成功に習い、いつも作るスポンジケーキに抹茶を追加するだけだ。小麦粉に抹茶の粉を大さじ一杯混ぜ込むだけ。抹茶が思いもかけない化学変化でも起こさない限り、これでうまくいかない理由は考えられない。

いつものレシピは、卵3個、砂糖90グラム、小麦粉90グラム、溶かしバター15グラムともう暗記している。全く通常通りに焼いてみた。

そうしたら、まあなんとも美味しそうな緑色の、抹茶のにおいがほのかに香るスポンジケーキができました。

これを3枚に切り、甘みをつけていないポイップしたクリームと甘納豆をパラパラとばらまいてはさんで完成です。ケーキの一番上にもクリームを塗り、抹茶を振りかけてみました。

抹茶味のスポンジケーキと甘納豆入りクリームの相性は抜群です。抹茶が嫌いだった自分が馬鹿らしくなる美味しさ!お試しください。



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2011年12月7日

馬鹿ハエ

昨日の朝のこと、いつも部屋干ししている洗濯物を今日は外に干そうと思い、キッチン横のドアから外に出た時に、一匹のハエが家の中に入った。ドアを開けたわずか数秒の間に!ドアの外で侵入のチャンスをうかがって待機していたとしか思えない。

キッチンに戻ると、そのハエがブンブンと羽音を響かせて飛び回っていた。我が家にはハエたたきも殺虫スプレーもないから、ハエには外に出ていただくことにしてドアを全開にした。(他のハエが入ってくる可能性も大いにあったが、リスクは覚悟の上。) 

しばらくしてハエは外に出た。
「おおっ、うまくいったぞ」とドアを閉めようとしたその時、そのハエは戻ってきた。戻ってくるか、普通? 

私はあきらめて仕事に取りかかったが、そいつはキッチンから私の後をつけて仕事部屋に侵入。ブンブンと羽音をたてて飛び回りながら、しきりに私の頭にとまったり顔をつついたりしてとにかく鬱陶しい。

「このぅ!」

 私は、引き出しから大きめの定規を取り出した。定規でひと叩きにしてやろうとしたのだが、どういうわけかハエはどこかへ姿を消した。

「逃げたか?まぁいいか…」

 私は再び仕事に取りかかった。

すると、どこからともなく姿を現したハエがデスクの周りを飛び回る!気がちって仕事に集中できない。今度こそ、なんとしても殺ってやるぞと決意を固め、定規を手に待ち仁王立ちで構えていたが、私の殺意が伝わったのかハエはまたもどこかへ姿を消した。

昼になった。

ランチのためにキッチンへ行くとあのハエがいた。しかし、ここは冷静になって外に出ていただくことにして、再びキッチン横のドアを全開にし、ハエを誘導する。が、しかし、ハエは大馬鹿だった。あれほど大きく広く開けてやっているのに、ドアのすぐそばまで行きながら外に出ない!

 「この馬鹿がぁ!早く出てよぉ!」と追い立てるものの、馬鹿だから出ない。 両手を振り回して必死に誘導してやっているのに、馬鹿ハエはキッチンの中をブンブンと飛び回るばかりだ。

あきらめてドアを閉めようとしたその時、ああ、なんということか!もう一匹のハエが入って来てしまった! 怒りは最初の馬鹿ハエに向かう。

「あんたがさっさと出ないから、もう一匹入ったじゃないのぉ!」

ところが、この2匹目は、入って来たと思ったらすぐ外に出た。賢いハエであった。

再びリスクを覚悟でチャンスにかける私。ドアを全開にして馬鹿ハエを追い立てる、というか誘導しているのですよ、外に出してあげるために。 しかし、この馬鹿ハエはブンブンと狂ったように飛び回るばかり。

「せっかく親切に外に出してあげようっていうのに…」

 私はすっかりあきらめた。

「そのうち死ぬでしょ。どこかの窓の下に転がっているのを見ることになるわけよ。命を助けてやろうと思ったのにねえ…」



そして、今朝のことです。

あわれ、馬鹿ハエは、こんな所で命を落としておりました。

キッチンの窓下に置いていた小さな花瓶

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2011年12月6日

手根管症候群

夫が左手の手術をした。

事情があってここ数ヶ月ほど庭木の伐採や剪定および大工の仕事をしているのだが、チェーンソーやハンマー等で手を酷使して手のしびれや痛みがひどくなり、仕事を続けることが困難になって来ていた。医者に診てもらったところ「手根管症候群」の疑いで専門医を紹介され、検査をしてもらったら、医者の見立て通り「手根管症候群」で手術が必要ということであった。

夫の手は、右手も左手も両方ともしびれて痛んでいるが、今右手を手術すると全く仕事ができなくなって、私達家族はさらに困窮することは目に見えているので、まずは左手を手術してもらった。

手根管症候群などという病気は聞いたことがないという方も多いだろうが、手のしびれの原因としては特に多いよくある病気だ。この病気の症状を自覚しているにもかかわらず、医者に診てもらいもせず、治療もせずにただ我慢している人は多い。

手の神経は束になって手首の手根管というトンネルを通るのだが、このトンネル内で神経が圧迫されることにより「しびれ」や「痛み」が生じ、さらには指の動きが悪くなったりする。英語では Carpal Tunnel Syndrome と呼ばれる。実は私は、息子を生んだ後、この病気になった。

手根管の部分でなぜ神経が圧迫されるようなことが起きるのか、原因は良くわからない場合が多いそうだ。この病気は女性に多く、妊娠出産と関連して症状が出ることが良くあるので女性ホルモンと関連する可能性もあると言われている。原因は良くわからなくても、手を酷使することが明らかに手根管症候群の症状を悪化させることは事実だ。

私の場合、最初は、字を書いたり絵を描いたり、縫い物や編み物をしたりする際に、すぐに手がしびれて長く鉛筆や針を持っていられなくなった。すぐに医者に診てもらえば良かったのに随分長いこと我慢していて、症状を悪化させてしまった。手のしびれや痛みはどんどんひどくなり、食事の時にナイフやフォークを持つことも、ペンを持って字を書くことも困難になった。そのうち、しびれた手で何かしようとすると手が麻痺してしまうために物をつまんだりボタンをかけたりすることすら困難になった。

特に酷使していた右手の痛みが耐えられないほどひどくなって、やっと医者に診てもらいに行ったのだ。このとき初めてこの病気のことを知った。神経の束が通るトンネルを切って圧迫をゆるめるという手術をしてもらい、右手は良くなった。

ところが、その後、左手にも同様の症状が出始め、同じようにしびれと痛みがひどくなって、結局左手も手術してもらった。こちらの方は、完全に良くなったとは言えない。手術からもう何年もたつのに切った跡が時々痛い。しかし、傷跡の痛みなど「手根管症候群」のしびれた痛みには比べられない。

夫は、左手が回復したら、右手もすぐに手術するということになっているらしい。右手の痛みの方がひどかったらしいから、今から右手の手術を大変楽しみにしているそうだ。

しびれが切れて足がピリピリビリビリと痛いという状態を想像してみてください。手が常にそういう状態で、それを我慢して何かしようとすると指が麻痺して思い通りに動かなくなるというような末期的な状態になると手術しかありません。手がしびれる、指先がしびれるという方は、早めの治療をお勧めします。


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2011年12月5日

執念の甘納豆

あんこ系のお菓子が子供の頃から大好物である。私の出身の岡山県には、おいしいあんこ系の有名お菓子がたくさんあって、倉敷銘菓「むらすゞめ」とか岡山銘菓「大手まんじゅう」などは、本当に大好きだった。

「たい焼き」「大判焼き」「どら焼き」といった小麦粉と卵で作る生地とあんこの組み合わせは最強である。

私は、岡山県の中西部の小さな町「成羽町」で生まれ育ったが、この町にもおいしいあんこ系のお菓子「金平饅頭(きんべいまんじゅう)」というのがある。
(ああ、懐かしいなあ…。)

「金平饅頭」は、小麦粉と卵の甘い生地の中にさらりと上品な白あんが入っているのだが、どこかに何か手みやげを持っていくという時には、私はいつも「金平饅頭」を買っていた。誰からも喜ばれる、大変美味しい郷土銘菓である。(くぅ…、食べたい。)

あんこ系のお菓子は、海外に住んでいると手に入りにくいので、手作りできるものは自分で作るが、「羊羹」とか「甘納豆」は簡単には作れない。(と思っていた。)

で、先日のこと。

抹茶カップケーキを作った。抹茶味ホワイトチョコレートクリームをトッピングし、大変美味しくできたのだが、私は甘納豆をトッピングしたのも作りたかったのだ。甘納豆は手に入らないので、缶詰のゆであずきというのを使おうとした。甘くゆでた小豆が入っていると思って買っておいたものだが、入っていたのはドロドロの粒あんだった。がっかりしつつ、粒あんの中でまだ形状を残している小豆をいくつか探し出してカップケーキのトッピングに使ったのだ。結果は、期待していたのとはほど遠く、小豆から汁がたれて来てケーキの表面が汚れていた。(味はもちろん良かったのですがね。)


やっぱり、甘納豆ですよ、使うなら。

そこで、甘納豆とは一体どのようにして作るのであろうかと調べてみた。すると、「粒あんを作る時のように小豆を煮て、柔らかくなったら砂糖で甘く味を付け、甘みをしっかりしみ込ませたら汁を切り、これを乾燥させ、よく乾燥させたら砂糖をまぶす」と、このような手順で簡単に手作りできるらしいことが分かった。

じゃあ作ってみようじゃあないかと、町のアジア食品店で小豆を買って来ました。
(思い込んだら、小さなことにも執念を抱いてしまう傾向がある私…。)

手順は、粒あん作りと同じように進めます。皮が破れるほど煮てはいけませんが、十分柔らかく煮ておく必要があります。砂糖を加えた後、火から下ろしてそのまま一晩放っておきました。翌日、汁を切り、トレイに並べて乾燥させましたが、十分乾燥したと思ってもまだべとつくので、ケーキを焼いた後のまだ熱の残るオーブンの中にしばらく置いておきましたら、バッチリ乾燥しました。これに砂糖をまぶしたのがこれです。

市販の甘納豆に勝るとも劣らない、生まれて初めて作った手作り甘納豆であります!



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2011年12月3日

抹茶カップケーキ

料理好きの友人がいて、時々和食の作り方を教える。彼女の家族を食事に呼ぶ時には、いつも和食だ。前回は寄せ鍋をした。この鍋に入れた「鶏肉の団子」と「うどん」が大好評であった。

早速この「鶏肉の団子」の作り方をたずねられたので教えてあげた。料理好きの彼女は、作り方やおよその分量を頭の中で想像ができるから、私の話をフンフンと聞いていたが、紙にメモしたりはしない。

後日、聞いた所では、彼女は私に教わった「鶏肉の団子」を洋風のチキンストックでゆでてスープにし、塩こしょうで味付けして、うどんを入れて煮込んでヌードルスープとして食べたそうだ。家族に大好評であったと自慢していた。

だしで煮込んでみりんと醤油で味付けたオリジナルは、このようにオーストラリア風に変身したわけだ。

先日は、和風のデザートの話になった。食後にデザートを食べる伝統文化がない我々日本人は、何か和風のデザートを教えろとリクエストされるといつも困る。

和風の甘いものは、あんこを使用することが多いが、あんこは多くのオーストラリア人が美味しいと思う食べ物ではない。はっきり言ってあんこは好まれない。作るのに手間がかかるものはダメだし…。きな粉や黒ごま系も不人気であったし…。

そこで、抹茶味のカップケーキというのを作ったみた。いつものプレーンカップケーキレシピからバニラを省き、抹茶を入れてみた。大さじ2杯ほどで良い色になった。

作りながらこの抹茶の臭いがオーストラリア人達にはどうなんだろう…と不安を感じたのだが、焼き上がったカップケーキでは抹茶の臭いは気にならなかった。

「どうしたのこれは!」と緑のカップケーキを見て仰天していた夫だが、「これおいしいな!」と好評。
娘のサチは、一口食べて「これは大人向けだな…」と、苦味がやや気になる様子。
野菜嫌いでちょっとでも変わったものは食べてみようとしない息子のカイは、カップケーキに近寄りもしない。(なんとか食べさせたい!)

カップケーキにはやはりデコレーションも大切。クリームかフロスティングを塗りたい。ケーキの味を見て「この味にはホワイトチョコレートが合うだろう」と思ったので、ホワイトチョコレートクリームに抹茶で色をつけてみました。

美味しかったです!

中にあんこを入れるとか甘納豆をトッピングするとかした方が私は好みだが、オーストラリア人の友人達には、これなら喜ばれると思う。

抹茶カップケーキのレシピを見る


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2011年12月1日

宝物のレシピ

現在、料理レシピのウェブサイトを制作中で、集めたレシピを綴じていたファイルをめくっていたら、懐かしいレシピを見つけた。ジンジャーブレッドのレシピだ。

このレシピは、私にとっては大切な宝物で、息子のカイがまだ幼かった頃に書いてくれたものだ。まだ3歳くらいだったかな。やっと自分の名前が書けるようになった頃だから、もう少し前だったかもしれない。

カイは、ジンジャーブレッドが大好物だった。そこで、家で手作りしようと「ジンジャーブレッドミックス」を買って来て作ったのだが、これが今一つの味だった。美味しくないことはないのだが、ジンジャーブレッドが大好きなカイにはその違いが分かるのだった。

作り方を読んで説明の通りに作ったそれは、クッキーのようにサクサクしていた。もう少しふんわり感が欲しかった。味の方も甘すぎて、スパイスのバランスが悪かった。

そこで、知り合いにもらったレシピを自己流でアレンジして作ったらとても美味しかった。ジンジャーブレッドマンに型抜きし、それをチョコチップやスマーティーズというチョコレート菓子で飾るのも楽しかった。

このレシピはとても良い特別なレシピなので、無くさないようにきちんと書き直してファイルに入れておきたいのだが、書いてくれるかと幼いカイにたずねたら、大喜びで書いてくれたのがこれ。



材料とその分量は、紫色で書いてくれましたが、ちょっとカイ以外の人には読解不能なため、私が翻訳して英語で書き込んでおきました。


もう何年も作っていない。久しぶりに作ってみようかな…。


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